「私のコネで仕事をしている」女優・山村紅葉さん(63歳)が号泣した亡き母の言葉と想い|美ST
母の想いを何も知らなかった自分を恥じました
その2年後に母が亡くなりました。滞在していた東京のホテルで執筆中に亡くなり、本当に急でした。主な原因は過労。200冊以上の本を出していたので、お葬式のとき「あんなにがめつく書かなくてよかったのに」と編集者の方に言うと、母が生前「紅葉は私のコネだけで仕事を続けているから、いっぱい書いておかないと女優が続けられなくなる」と言っていたと聞いて号泣しました。 亡くなったことも大ショックでしたが、私が女優をやってなかったら、母はあんなに頑張って書かなくてもよかったのではないかと動揺しました。母は私が女優になることは賛成も反対もしていなかったけれど、舞台は大反対で、自分と全く違う世界だから助けることもできないと観に来てくれもしなかったんです。 でもその後、私の舞台のチケットをいっぱい買って「感想を教えて」と編集者にこっそり渡し、観に行ってもらっていたと聞き、そういう母の想いを何も知らなかった自分を恥じました。だから、舞台やバラエティなど母と関係のない世界で活躍していることを見たら、母は天国で安心して暮らせるのではないかと一生懸命頑張りましたね。 母の作品は場所が多いうえに、トリックの解明が舞台ではしづらく、舞台化が実現しなかったのですが、’10年に京都・南座で『京都花灯路恋の耀き』、’19年には母の好きだった新橋演舞場で『京都都大路謎の花くらべ』が舞台化。会場は満席で、みなさんから芝居を褒めていただいて、遅ればせながら母に恩返しできた想いでした。
健康には特に気をつけホームドクターに相談を
長年京都と東京と崖との生活。夫も多忙だったので、盆暮れに夫の実家に行くときは良妻を演じようと、義母と夫のわがままを100%聞き、できる限りのことをしてきました。料理も食べたいと言うものを何でも作りましたね。でも1人のときは冷凍食品で間に合わせたり簡単に。何もかも頑張ろうと無理をしません。 母が65歳で亡くなっているので、健康にはことさら気をつけています。コロナ禍で仕事が少なくなったときは落ち込みましたが、「仕事を休みなさい」という母からのメッセージだと受け止めましたね。何か気になることがあると、すぐにホームドクターに相談します。京都ではたまたまいい方と知り合えましたが、東京では近所の調剤薬局の薬剤師さんに聞いて探しました。コロナのときも、最大の防御は洗浄と消毒など色々教えてもらい、徹底したおかげで今のところ何とかかからずに乗り切っています。 先日入った喫茶店に、結構なお年の白髪の女性がいらっしゃり、佇まいがとても美しく、笑顔のキレイな方でした。不満や愚痴があっても言わず、自分の人生に満足している方なんだろうなと思いました。こんな方が母だったら、誰かの妻だったら素敵だろうなと創造力を掻き立てられるような人は、大抵雰囲気に美しさが滲み出ています。私もそういう人であるよう常に努力を重ね、人生を歩みたいと思っています。 常々母が、口に出せば願いが叶うと言っていたので、7年ほど前、絶対にないとは思いつつ、NHKの朝ドラと東宝カレンダーに出たいとインタビューで答えたら、翌年2つとも叶いました。だから、声を大にして、10年以内に大河ドラマに出たいと言っておこうと思います(笑)。