日本球界で指名打者のMVP受賞は過去に2人、フェースガードの「赤鬼」と「不惑の大砲」
米大リーグの最優秀選手(MVP)が日本時間22日午前に発表され、ドジャース・大谷翔平が2年連続3度目の受賞となるか、注目が集まっている。指名打者(DH)に専念した選手の受賞は大リーグでは史上初だが、日本のプロ野球では過去、1975年からDHが採用されているパ・リーグに2人いる。79年のチャーリー・マニエル(近鉄)、88年の門田博光(南海=現ソフトバンク)だ。いずれも球史に残るインパクトを残したレジェンドで、その活躍は色あせることはない。 【写真でみる】死球からの復帰戦でフェースガードが付いたヘルメットをかぶって適時打を放つ近鉄のマニエル=1979年8月4日、西宮球場 ■「大谷級」の打棒 大リーグのMVPの投票は打撃、守備、走塁などを総合的に評価する傾向にあるため、守らないDHの受賞はこれまでなかった。また、最も優秀な投手が選ばれる「サイ・ヤング賞」があるため、同賞が制定された56年以降、投手のMVPは11人と少ない。 一方、プロ野球は走攻守の総合的な判断でなく、チームに最も貢献した選手を選ぶという認識が浸透していて、パで投手のMVPは2000年から昨年まで13人と半数を占めている。このため、DHがMVPに選ばれるには、大リーグ同様、「大谷級」の打棒が必要といえる。 MVPとDHのベストナインに同時に輝いた前述の2人はそれほどすさまじい打撃成績を残した。 1978年にヤクルトの日本一に貢献し、「赤鬼」の愛称で親しまれたマニエルは守備と走塁に難があり、セ・リーグには向いていないと、当時の広岡達朗監督からの評価が低かったため、翌年から近鉄に移籍。DHに座り、開幕から打ち続けたが、6月9日のロッテ戦で顔面に死球を受けて戦線を離脱。顎の骨が折れ、完治まで2~3カ月と診断された。8月下旬ごろの復帰を想定していたが、何と8月3日にベンチ入り。翌4日には代打で適時打を放った。顎を保護するため、フェースガード付きのヘルメットを着用する姿はファンの注目を集めた。 マニエルはこのシーズン、97試合の出場だったが、タイトルを獲得する37本塁打で近鉄のリーグ初優勝に貢献。フェースガードの印象は絶大でMVPを獲得。「(近鉄の)西本幸雄監督のために打つ」という思いが結実した。 ■40代で40本塁打