「ヨレヨレ日記シリーズ」62万部の大ヒット…!一人出版社社長「就活30社全滅の屈辱から逆転半生」
某月某日 取材前のダメダメ記者:慌ててお土産買って汗だくダッシュ! 約束の15分前。早歩きで行けば間に合いそうだ。でも、まてよ……。初めて会う取材相手なのに、お土産を持ってくるのを忘れた。安直に駅前のスーパーでお菓子を買うというのも申し訳ない。う~ん。あっ、目の前にケーキ屋さんがあるじゃないか。 【目力が歌舞伎役者!】一人出版社社長「就活30社全滅の屈辱から逆転半生」衝撃の素顔写真 「お姉さん、2000円の洋菓子セットを一つください。すいませんが、急ぎで!」 よし、お土産をゲット。うわっ。もう約束の5分前だ。ダッシュ、ダッシュ! 取材場所の出版社へ汗だくで飛び込んだのは定刻ちょうどだった――。 以上、記者のダメっぷりを「編集者ボロボロ日記」風に書いてみた。 本場『交通誘導員ヨレヨレ日記』『非正規介護職員ヨボヨボ日記』『タクシードライバーぐるぐる日記』など、さまざまな仕事に従事する人たちの実生活をユーモラスに描いた「ヨレヨレ日記シリーズ」が18冊62万部の大ヒットとなっているのが出版社『三五館シンシャ』だ。記者が慌てて買った洋菓子を渡し、話を聞いたのは同社の一人社長・中野長武氏(47)。社員もアルバイトもいない。文字通りの一人きりの会社だ。 パソコン1台、机2つという白壁に囲まれた8畳ほどのビルの一室からヒットを連発する中野氏が、自身の言葉でダイナミックな半生と「日記シリーズ」ヒットの舞台ウラを紹介する。 ◆「ふざけんなよ!」 「子どもの頃から本は好きでした。偉人の伝記や推理小説、高校時代からは本多勝一のノンフィクションや『噂の真相』などの月刊誌も読んでいた。ただ『本の虫』というほどではありません。大学(中央大)を卒業するにあたり、本が好きだったのでなんとなく出版社を受けたんです」 就職活動で受けた出版社は30社ほど。しかし……結果は全滅だった。 「自分が否定されているようで『ふざけんなよ!』と腹が立ちましたね。『受かったヤツはそんなに優秀なのか』と。最初はなんとなく受けていた出版社でしたが、そこまで落ちまくると『絶対に入ってやる』という気持ちになりました」 一時は自分で出版社を立ち上げようと親に300万円の借金を申し込んだが、「一人暮らしもしたことないアンタにはムリ」と断られ断念。就職浪人し、募集していない出版社に電話し飛び込みで受けまくった。 「社長が対応してくれる会社もありましたが、なかなか採用してくれない。未経験の新人が押しかけてきているのだから当然です。唯一感触が良かったのが『三五館』。出版社に片っ端から落ちたこと、作りたい本についてなど1時間ほど社長に語ると『1週間後に来い』ということになりました。指示どおりに『三五館』に行くと『一緒にやろう』という話になったんです」 仕事は厳しかった。 「校了前は必ず徹夜。関西出身の社長からは、よく怒鳴られました。勤務初日に原稿をコピーしていたら、『なに勝手にコピーとってるんや!』と。どんなことでも『オレの許可をとれ』ということでしょう。今ならパワハラです。最初のうちは休日もほとんどありませんでしたが、しがみついてでも働く覚悟で入社したのでなんとも思いませんでした。そういうものなのだろうと当たり前に考えていたんです」 転機は’17年10月に訪れる。’00年の入社から17年が経ち編集長を任されていた。中野氏は社長から近くの喫茶店に呼び出され、次のように言われたのだ。「(会社を)閉めることにした」と。 「確かにヤバいという噂はありました。でも、以前から経営が危ないことは度々あったので今回もなんとかなるだろうと考えていたんです。実際に倒産を告げられた直後は『本当に終わったんだな』と頭の中が真っ白になりましたが、私はもともと楽観的な性格。『じゃ、一人で出版社をやろう』と『三五館シンシャ』と立ち上げました。 どこにも行き場のない私を採用してくれ、編集のイロハを叩き込んでくれた『三五館』の名前だけは絶対に残したい。『シンシャ』には『新しい会社』という意味と、倒産時に迷惑をかけた人たちへの深いお詫び、そして立ち上げを支援してくれた人たちへの心からの感謝という意味を込めました」 『三五館シンシャ』は’17年12月に誕生した。いくつかのスマッシュヒットを飛ばし’19年7月に飛躍を遂げる。「ヨレヨレ日記シリーズ」がスタートしたのだ。シリーズ大ヒットの舞台ウラは【後編】で紹介したい。
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