「ムービング」『毒戦2』でタフネスを内に宿す女優、ハン・ヒョジュの演技術。いずれはアクションヒーローにも?
釜山国際映画祭のイベントの一つに、俳優による「アクターズトーク」がある。中堅、ベテランを問わず現代を代表する役者陣を招き、彼らや彼女たちのフィルモグラフィーを振り返りながら作品と役柄にまつわるビハインドや役作りの話を聞くスペシャルトークプログラムだ。2023年の今年、ラインナップに名を連ねていた一人がハン・ヒョジュだった。 【写真を見る】アクターズトークでの観客と率直なやり取りに飾らない誠実さが表れていたハン・ヒョジュ そんな彼女のアクターズトークの中で、最新作『毒戦 BELIEVER 2』(23)で演じたクンカルについて興味深い話を明かしてくれた。謎の麻薬王“イ先生”の最側近で、“イ先生”の邪魔をする者をナイフを手に次々と惨殺していくクンカルは、元々男性のキャラクターだった。本作を手掛けたペク監督がハン・ヒョジュをキャスティングしたくて、性別を変えたのだという。また別の日、キャストを招いての野外オープントークで、ペク監督はクンカルについて、インパクトのあるキャラクターが欲しかったと話した。 男性をイメージして造形されたキャラクターをハン・ヒョジュが演じたという撮影秘話は、妙に納得できるものがある。ペク監督はただ単に、女性がバイオレンスなキャラクターを演じることの奇抜さが欲しかったわけではないだろう。クンカルというのは、俳優ハン・ヒョジュの内に秘められていたタフネスがついに具現化された瞬間だったように思う。 全身に漂う清潔感、息のきれいそうな口元、頭脳明晰そうな額、裏表のない笑みを常に感じさせる眼差し。ハン・ヒョジュはたしかに、正統派の女優だ。当然ながら恋愛を中心にしたメロドラマへの出演が多く、実際キスシーンを大変ロマンチックに演じられる役者でもある。それでも彼女の真骨頂は「外柔内剛」、見た目の柔和さからは予想できないような、強かで胆力を持つ俳優なのだ。 ■キャラクターの細部にまでこだわった『毒戦 BELIEVER』のヴィラン、クンカル 「毒戦 BELIEVER」シリーズでは、“イ先生”は一貫して姿の見えない存在であり、クンカルは唯一よく知っているからこそ、彼に心酔しきっているという設定だった。強烈な個性を放つクンカルというキャラは、俳優なら、挑戦はしてみたいはずだろう。だが、誰でも成功出来るわけではない。ハン・ヒョジュはアクターズトークで、クンカルというキャラクターを“洋服”にたとえてこう話した。 「(キャリアの中でクンカルは)一度も着たことのない服でした。これをどうやって着ればいいのでしょうか?言うなれば、このドラマはそんな“洋服作り”からスタートしました。かなり大きなシチュエーションで、大役だと思っていたので、いい仕事ができるか不安でした。一生懸命運動して痩せて、筋肉をつけて、水も飲まないようにして…“着る準備”のために努力しました」 クンカルという人物がよく表現されているのが、役柄のために入れたという歯と、爪のディティールだ。人間の生活というのは、こうした細かい部分に現れるものだ。黒ずみや黄ばみがはっきり分かる、クンカルの汚れた歯や爪からは、その暴力性にとどまらない荒れたバックグラウンドが垣間見える。ただ危険でバイオレンスなキャラクターなら、本物志向の韓国映画やドラマにはいくらでもいる。こうしたビジュアルには、ハン・ヒョジュもアイデアを出したのだそうだ。『毒戦 BELIEVER 2』は、ハン・ヒョジュのフィルモグラフィにとって初めて「青少年観覧不可」に区分される作品だ。しかしクンカルは、女優が体当たりの演技で新境地を見せたというような、陳腐で単純過ぎる評価を超えたところにいる。 ■愛と歌に身も心も捧げた妓生の悲痛を描く『愛を歌う花』 ハン・ヒョジュのフィルモグラフィを紐解くと、精神的な強さを持つ女性が、時代や他者に抑圧される女性の葛藤を演じることが多かったことに気づかされる。 『愛を歌う花』(16)は、ハン・ヒョジュの演技によって抑圧される女性の感情が余すことなく表現された作品だった。日帝時代の1943年、京城唯一の妓生養成学校で暮らすソユル(ハン・ヒョジュ)とその幼なじみヨニ(チョン・ウヒ)。才能あふれる2人は、ともに励まし合いながら時代を代表する歌姫を目指して切磋琢磨していくが、ヨニが大衆歌謡の大家に見出されたことをきっかけに、次第に彼女たちの運命の歯車が軋み出す。 ソユルら妓生たちが練習していたのは、正歌という朝鮮時代の後期に作られた声楽曲で、元々宮廷で歌われるような高貴なジャンルだ。一方、ソユルの恋人で作曲家ユヌ(ユ・ヨンソク)が目指していた“朝鮮の心”とは、日本軍の支配に苦しむ国民の心に寄り添う大衆的な流行歌だった。正歌と大衆歌謡は発声の方法から異なり、ソユルは歌えない。ユヌの元で着実にスターダムへ上っていくヨニを、嫉妬と羨望、苦痛が入り交じる微細な表情で見据えるハン・ヒョジュは圧巻だった。映画で使われた歌のシーンは、全て俳優たちによる実際の歌唱だ。特にハン・ヒョジュが披露する正歌は、吹き替えだと思う観客が多かったほど自然な出来映えだった。 それもそのはず、ハン・ヒョジュはこの映画で、ソユルに完全になり切ったからだ。4か月間正歌と舞踊を学び、テレビの国楽プログラムも聞くなど役作りに邁進した。芸術と愛に対して悪魔的に心酔していくキャラクターを演じるため、『ブラック・スワン』(16)などの作品も参考にしたそうだ。実際の妓生について、資料を読み込み眉毛の形までその時代の流行に合わせて薄くて長く描くアイディアを取り入れたりした。 ユヌの愛さえヨニに奪われたソユルは彼の愛情と歌を取り戻そうと、かねてから目をかけられていた朝鮮総督府警務局長の平田清(パク・ソンウン)に取り入り、権力によって時代を象徴する歌手に登りつめる。ラスト、ユヌは自分とヨニを陥れたソユルを激しく憎悪し絞め殺そうとする。ソユルは苦しみながらも「私がなぜ日本人の高官の女になったか聞きもしないのね!」と吐き捨てる。ユヌが自分を捨て、ヨニとともに歌を奪ったこと以上に、彼が理解することなく“娼婦”と詰ることへの痛ましい叫びが胸を打つ。ハン・ヒョジュは恋人も親友も夢も失うソユルを思い続けたせいで、撮影中はずっと苦しみ、追い詰められた気持ちだったという。表面的にキャラクターへ寄せただけでなく、まるで取り憑かれたようになってしまったからこそ、むき出しの感情が演技に出たのだろう。 ■大ヒットドラマ「ムービング」で見せた完璧なアクションと、母としてのキャラクター デビュー当初より、ハン・ヒョジュが意欲を口にしてきたジャンルがアクションだった。『人狼』(18)でのガンアクションシーンで、瞬きすることなく銃を撃つ姿に武術監督が目を見張ったというエピソードがある。この頃からハン・ヒョジュは、ロマンチックな作品よりアクションヒーローものへの挑戦を目標に、アクションスクールに通うなど努力をしていると明かしていた。 それが実を結んだのが、今年シンドロームを巻き起こした超能力アクションドラマ「ムービング」のミヒョン役だったのではないか。かつては国家安全企画部のエースで人並み外れた鋭敏な感覚を持つミヒョンは、高校生の息子ボンソク(イ・ジョンハ)をたった一人で育てるシングルマザーだ。ボンソクは、工作員だった父ドゥシク(チョ・インソン)の飛行能力を受け継いだハイパーパワーの持ち主で、権力者に利用されたり謎の刺客につけ狙われていく。ミヒョンは息子を守るため、普段は生活に疲れた平凡なとんかつ屋の店主として世を忍んでいるが、家族のために銃を抜いた瞬間、表情が一変する。 シリーズ後半では、ボンソクの通う高校に北朝鮮からの要員が送り込まれ壮絶な戦いが展開される。殺し屋たちと銃撃戦になるミヒョンの立ち回りが素晴らしい。相手を仕留めるモーションの無駄の無さ。緊迫した中で映し出される眼差しの鋭さ。北の工作員を率いるドクユン(パク・ヒスン)に足を撃たれながらも死闘を繰り広げていると、ボンソクが登場。飛びながら敵ともみ合うボンソクを追いかけるミヒョンが、血まみれの足でつまずくシーンが真に迫っている。この一瞬があるかないかで、演技のリアリティが全く異なることを熟知している演技だ。 一方で凄まじいアクションをしながらも、ハン・ヒョジュはあくまでミヒョンの“母”としての顔に心血を注いでいた。「ムービング」のラストエピソードで、刺客たちを倒したボンソクは負傷したミヒョンを背負い空へ飛び上がる。ミヒョンはそれまで張り詰めたような戦闘的な表情が和らぎ、たくましくなった息子に身を預ける母の顔をしている。 キャリアで初めて母親役を演じたハン・ヒョジュは、ミヒョンを演じながら自分自身の母のことを考えていたという。「その時代のほとんどの親がそうだったように、母もまた子供のために犠牲を払い、家族のために生きていたと思います。振り返ると、私の母もとても自己犠牲的な賢母だったので、女性として自分のための時間がほとんどなかったのではないでしょうか。私はミヒョンの人物像に従いながら、ドラマの最後の方は母としてキャラクターを演じることにしました」という言葉には、家族のために生きた時代の母や女性たちに敬意を払いながら、やはり自ら選択し生きていくことに意識的な様子が垣間見える。 ラブストーリー、コメディ、ヒューマンドラマ、アクション。幅広い役柄でキャリアをたゆまずにアップデートし続ける彼女の領域を、一つのジャンルに限定することは困難だ。クンカルやミヒョンのキャラクターを以て「俳優としての新境地」と評価してしまうのは、まだまだ早いようだ。 文/荒井 南