渋谷スクランブル交差点の老舗「三千里薬品」が閉店…「100年に1度」の再開発が進む渋谷で何が起きているのか
渋谷のスクランブル交差点に面する老舗の薬局店「三千里薬品 神南店」が2024年12月31日に閉店した。閉店のニュースは大きな話題を呼び、同店が「渋谷のランドマーク」として人々の記憶に残っていたことがうかがえる。三千里薬品は変わりゆく渋谷の街をどう見ているのだろうか。同薬局を運営するエイシャン・ブラザーズの取締役総務人事部長・斉藤均氏に、三千里薬品の歴史と変わりゆく渋谷の街の思い出について話を聞いた。 【画像】1965年ごろの「三千里薬品」。ふんどし型の懸垂幕には、それぞれにメーカーの医療品の名が
昔から広告宣伝に長けていた
同店は1962年(昭和37年)に誕生した。前身は「三千里食堂」で、食品事業を営んでいた。 「この土地を持っていたオーナーは、ここに合う商売をいろいろと考え、結果として食品事業から薬局事業に変えました。当時、再販売制度というものがあって、定価販売が主流。そこで定価よりも安い値段で薬や化粧品を売って、それが当たったんです」(斉藤均氏、以下同) 三千里薬品を世に知らしめたのが、新聞に挟んだ折込チラシ。 「当時は折込広告チラシが絶大な影響力を持っていました。新聞販売店に頼んで、たくさんばら撒いてもらいましたね」 アナログな宣伝といえば思い当たるのが「三千里薬品」の看板。赤と青の看板で多くの人の記憶に残っているだろう。現在はデジタルサイネージだが、初期はネオンの看板だった。これはいつ作られたのか。 「正確には分からないですが、昔の映像を見ると、1965年あたりから使っていたようです。当初は、ふんどし型ののれんのような看板で、のれんのそれぞれに医薬品の名前が書いてあった。そこにメーカーさんからは競って自社の商品を書いてほしいと言われていました。渋谷では、今も昔も三千里薬品の看板はランドマークですね」 そこから看板はサイネージに代わり、別の企業のCMも流されるようになった。しかし、そのCMの間には、かつての看板を思わせる「三千里薬品」の映像が。 「デジタルのポップにしてからは、映像と一緒に音楽も流しました。『あら三千里あら三千里~♪』とメロディーが流れますよね。以前、若い女性と渋谷ですれ違ったとき、そのメロディーを口ずさんでいて、広告効果を感じました(笑)。あれ、音付きの映像は1時間に8回流れるんです。それが何時間も。だから耳に残りますよね」