【関東大震災から100年】建物倒壊、火災旋風、津波…マルチハザードだった大災害とは
ことし9月1日は「関東大震災」から100年です。地震後の火災でとても多くの人が亡くなったという話を聞いたのを覚えている方が多いのではないでしょうか。実はそれは被害のほんの一面で、関東大震災は地震で起きるあらゆる被害が一緒に発生したマルチハザードの大災害でした。
■死者は約10万5000人にも
37万棟が倒壊・焼失し、死者・行方不明者が約10万5000人にも及んだ関東大震災は震源が東京ではなく、神奈川県の西部を震源とする地震でした。マグニチュードは7.9と推定され、相模トラフのプレート境界で起きた巨大地震です。
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■大きな揺れで建物倒壊が相次ぐ 全壊は約11万棟に
巨大地震の大きな揺れによって建物は次々に倒れ、下敷きになるなどして亡くなった人もたくさんいました。震源となった神奈川県では倒壊家屋が約6万3000棟にも及び、約5800人もの人が死亡。隣接する東京でも神奈川よりは少ないものの約2万4000棟の建物が倒壊し約3500人が死亡しました。
■土砂災害も各地で発生
神奈川県から千葉県、山梨県など各地で大規模ながけ崩れや土石流、さらに地滑りといった土砂災害も多く発生し深刻な被害となりました。横浜市や鎌倉町(当時)、横須賀市の人口密集地帯では、家屋の倒壊や火災の被害に加え、民家の裏の急斜面のがけ崩れによって多くの民家が土砂に押しつぶされたということです。小田原市根府川・米神付近では地すべりとみられる土砂崩落が発生し、多くの民家が埋没し数百人が死亡。JR東海道線(当時・熱海線)の根府川駅にも地すべりが襲い、ちょうど駅にいた列車も一緒に海中にまで押し流されてしまいました(列車の死者100人以上)。このほか、箱根の温泉街でも土砂災害の被害が大きかったほか、谷峨駅付近では大規模な土石流が発生するなど、各地で被害が発生しました。
■高さ12mの津波も発生
また、この地震は、東日本大震災や南海トラフと同じように、相模トラフのプレートの境界で発生した地震だったため、津波も発生しました。伊豆半島、伊豆大島、三浦半島、房総半島の海岸に津波が押し寄せ、熱海と伊豆大島には高さ12mもの津波が、伊豆半島の伊東や千葉県館山市付近にも最大9mの津波が襲いました。伊東市の寺の階段には、関東大震災の時の津波の高さと1854年の安政東海地震の際の津波の到達点を示す碑が設置されていて、関東大震災の津波の高さは安政東海地震の時より高かったことがわかります。伊東町(当時)では、海岸沿いの平地の集落はほとんどが流失、多くの死者を出しました。