【NIEと原発事故】自分事で学び深めて(8月13日)
教育現場での新聞の活用を考える今夏の第29回NIE全国大会京都大会で、新聞は「生きた教材」であり、答えのない問いを探究する大切なツールだと、参加者が認識を共有した。根拠不明の情報があふれる現代社会で、情報を正しく取捨選択できる力を身に付ける必要性を確認した意義も大きいと言える。 最も関心を集めたのは、京都女子中3年生による公開授業だった。「原子力災害の今・自分事として考えるということ」をテーマに、県内から安積高の生徒2人も助言者として加わった。両校は東日本大震災と東京電力福島第1原発事故について、一昨年3月から共に学びを深めてきた。 生徒は福島民報の長期連載「霞む最終処分」をはじめ、京都新聞や全国紙を読み比べ、違いを考察した。県内の除染土壌や除染廃棄物は、2045年3月までの県外最終処分が法律で定められている。しかし、処分の方法や最終処分地選定の見通しは立っていない現状を知った。一つの情報をうのみにせず、さまざまな側面から問題意識を持って考える「情報リテラシー」を身に付けようとする姿勢が伝わってきた。
教室にとどまらず現場にも赴いた。6月初めに修学旅行で本県を訪ね、双葉町の災害伝承館や中間貯蔵施設、富岡町の東京電力廃炉資料館などを見学した。生徒は実際に自分の目で見て触れて被災地の正しい理解につなげた。 安積高生と練り上げた共同宣言は「教育の場で得た知識を基に、自分で情報を取捨選択できるようにする」「正しい知識(科学的データに基づいたもの)を発信する」などを柱とした。原発事故に関する記憶が薄い中学生にとって被災地は縁遠く、ともすれば「他人事」と感じてしまいがちだろう。そこを「自分事」として捉え直し、周囲に伝えようとする真摯[しんし]な姿は参加者に強い印象を与えた。 原発事故の発生から来月で13年半が経過する。避難指示解除は進んだ一方で、住民帰還の受け皿づくりは途上だ。溶融核燃料(デブリ)の取り出しは計画遅れが懸念されるなど課題は依然、山積している。引き続き新聞の多面的な情報を通して復興の実相を学んでほしい。情報を提供する側は責任の大きさを改めて胸に刻みたい。(浦山文夫)