【霞む最終処分】(17)第3部「決断の舞台裏」 「役所的発想」に憤慨 建設交渉、官邸主導へ
2011(平成23)年6月9日、環境省の事務方トップである環境事務次官・南川秀樹が突如、福島県庁を訪れた。東京電力福島第1原発事故に伴う除染の本格的な実施を見据え、放射性物質が付着した廃棄物などの最終処分場を県内に建設したいとの考えを伝えるためだった。 「福島県以外に建設場所は考えられない」。南川の申し出に、知事・佐藤雄平は「県として受け入れられない」と拒否し、怒りをぶちまけた。県にとって青天の霹靂(へきれき)だった「最終処分場構想」は、政府の意向ではなかった。 南川は「環境省内で平時の原則論に従って議論した。『役所的な発想』だった」と内情を語る。 環境省は家庭や企業、さらには被災地から出る廃棄物を担当している。廃棄物処理法は放射性物質による汚染を想定しておらず、原子炉等規制法も原子力施設敷地外で発生した放射性廃棄物の扱いを示していない。南川は原発事故の発生当初を振り返り、「最初は放射性物質という特殊性は深く考えていなかった」と明かす。
◇ ◇ 処分方法が定まっていない原発敷地外の放射性廃棄物をどう扱うか―。南川は官邸の指示を受けて環境省幹部らと協議し、省内で対応すると決めた。まずは処理方針などを盛り込んだ放射性物質汚染対処特別措置法の制定に動いた。法案の作成過程で検討したのが「除染などで集めたものを最終的にどこへ持っていくか」だった。 南川は「それぞれの県に処理を求めなければ、収拾がつかない」と考えていた。家庭ごみなどは発生地域内または近傍で処理するのが原則となっている。福島県や近隣県の事務担当者らに相談したが、福島県からは明確な返事を得られなかった。「責任者同士が会わなければ決められないだろう」。南川は官邸の承諾を得ないまま現地に向かった。知事への直談判が狙いだった。 ◇ ◇ 南川の最終処分場に関する発言は官邸中枢に衝撃を与えた。内閣で官房副長官を務めていた福山哲郎は「政府内で議論もしていないのに、なぜだ…」と憤慨した。原発事故で甚大な被害を受けている県民に最終処分場建設を突き付ければ、さらなる苦しみを強いることになる。「不安を抱える福島の皆さんの心中を察したら、とんでもないことだ」と配慮を欠いた発言だったと受け止めた。
だが、県民の安全・安心な生活空間を取り戻すためには、除染で生じる土壌をどこかに集約しなければならなかった。すぐに県外へ搬出できる状況ではなく、県内に一時保管する「中間貯蔵施設」にすべきとの案が浮上した。実現に向けては、県や市町村との調整が不可欠だった。「今の環境省が何を言っても説得力がない」。環境省の独断から一転、福山らは官邸主導で中間貯蔵施設建設に向けた県との交渉に動き出した。(肩書は当時、敬称略) 東京電力福島第1原発事故に伴う中間貯蔵施設の整備に携わった政府や県、立地町の政治家らは、除染廃棄物の最終処分をどう見据えているのか。それぞれの見解に迫る。