時代考証が解説 笛、雪山…、一条天皇と定子、清少納言たちとの日々
---------- 2024年大河ドラマ「光る君へ」の主人公・紫式部と藤原道長。貧しい学者の娘はなぜ世界最高峰の文学作品を執筆できたのか。古記録をもとに平安時代の実像に迫ってきた倉本一宏氏が、2人のリアルな生涯をたどる! *倉本氏による連載は、毎月1、2回程度公開の予定です。 ---------- 【写真】貧乏学者の娘・紫式部と右大臣家の御曹司・藤原道長の本当の関係は?
笛の名手だった一条天皇
大河ドラマ「光る君へ」15話では、一条天皇の笛がクローズアップされた。実際に一条は笛の名手だったようで、永祚元年(九八九)十月十日の殿上御遊(てんじょうぎょゆう)で笛を吹いた際には、藤原実資は、「上下、涙を拭(のご)う。是れ天の授け奉ると謂(い)うべし」と最大限の賛辞を送っている(『小右記』)。この年、一条はまだ数えの十歳であった。 藤原道隆が死去し、伊周・隆家が失脚した後の長保二年(一〇〇〇)のことを描いた『枕草子』第二二八段「一条の院をば今内裏(いまだいり)とぞいふ」では、清涼殿(一条院内裏北対)と、定子御在所の北二対を結ぶ西・東の渡殿を、一条が渡り、定子が上る道と記述し、東の渡殿の廂で一条が吹いた笛を、北二対で聞いた定子付き女房が感激し、現状の暗澹(あんたん)たる境遇をしばし忘れる様子が描かれている。 ついで、蔵人の藤原輔尹(すけただ)を揶揄(やゆ)した歌謡に節を付けて笛で吹く一条が活写される。もっと高く吹けと囃(はや)す女房たちに対して、いつも一条は「いかが。さりとも聞き知りなむ」と、輔尹が聴きつけることを恐れてそっと吹くのだが、この日は「かの者なかりけり。ただいまこそ吹かめ」と言って、思い切り吹いている。この時代にすでに一条は、自作曲の即興演奏をおこなっていたのである。 ただし、寛弘元年(一〇〇四)十一月三日に道長が奉仕した羮次という饗宴で皆が酩酊(めいてい)した後に、一条は公卿たちを引き連れて彰子御在所に渡御し、笛を数曲吹いているが(『御堂関白記』)、一条が人前で笛を吹いたのが史料上で確認できるのは、これが最後となる(倉本一宏『一条天皇』)。 なお、かつて私は宮内庁楽部を訪れ、楽長さんからさまざまな笛の説明を受けた。それによると、龍笛の穴は大きく、指の先ではなく指の腹で穴を塞ぐとのことであった。一条があの幼さで龍笛を吹いたとなると、それだけの指の太さがあったのかと不思議な気がしたものである。子供用の小さな龍笛を使ったとしたら、それだとピッチが高くなり、高麗笛の音程となるのである。