【曹操・劉備・孫権の人心掌握術】呉の孫権、3代目が見せたみごとな君主論
■ 事業承継者の孫権が使った人心掌握術、5つの方法 若くして老舗のリーダーになった人(後継者)が、どうしてもできないことがあります。自分が手本となってみんなを導くことです。製造でも経理でも、営業でも若手として事業承継をした新社長よりも、実務ができる人が普通いるからです。3代目の孫権も同じ。だからこそ、孫権の人心掌握術には「自分ではなく、周囲と環境を活用する」着眼点があります。 【孫権の人心掌握術、5つの方法】 (1)周囲の手本となる部下を褒め称える (2)危機を機会として利用し、集団を強く一致団結させる (3)派閥は偏らせず、貢献を目指してそれぞれを競わせる (4)人間の不和は、物理的環境を変えて解決する (5)集団全体が納得する目標を掲げて、繁栄目指して発奮させる 孫権は、呉軍内でロールモデルとなる人物を見つけて大いに褒め、群臣の手本となるように仕向けました。周泰という武将は身分の低い出身のため、軽蔑していうことを聞かない部下が出た時のこと。孫権は宴席で周泰の上着を脱がせて、周泰の身体にある多くの刀傷を周囲に見せます。 その壮絶な傷跡に武将たちが息をのむと、孫権は「この多数の傷は、兄の孫策と自分を守ってくれた結果であり、誰がなんと言おうと、君は呉の功臣である」と宣言しました。 この出来事から、周泰を軽蔑する者は呉軍の中にいなくなり、孫権は正しい貢献をした部下を褒めたことで、名君としての評判を部下の中に高めることにもなりました。自分が部下に優越しなくとも、事業承継者として孫権は部下の尊敬を集めていくことができたのです。 ■ マキアヴェリの『君主論』における権威と、孫権のリーダー原理 孫権の発揮した統率力は、いずれも彼自身から発したものではなく、周辺の人物か、外部から降りかかる危機に対応する形で発揮されました。その意味で、「部下たちより優越しなくとも」リーダーシップを発揮して、君主の地位を固めることができた好例だといえます。 これは、1532年に刊行され、現在も世界中で愛読者がいるマキアヴェリの『君主論』にも、極めて共通するところがあります。 「君主は(実力のある人物を重用し)、一芸にひいでた人を賞揚して、みずからが力量のある人物に肩入れしていることを示さなければならない」 「それぞれの集団の人々のことを考慮に入れ、折にふれて彼らとの会合をもち、君主自身の豊かな人間味と度量の広さを誇示すべきである。しかもなお、君主の厳然たる威光をしっかりと守っていくこと」(いずれも『君主論』中公文庫、第21章より) 父と兄が戦場で亡くなったことで、3代目の孫権は最前線で戦って自分の武勇を誇示することができなくなりました。この特殊な条件が、父と兄の事業継承者としての孫権の特別な立場を、さまざまな創意工夫で固めていく思考と行動につながっていったのです。孫権が教えているのは、若い3代目が部下や幹部と競争せずに、かえって組織内で求心力を高めていく方法だったのです。
鈴木 博毅