“放屁ネタ”は江戸庶民の笑いのツボ 妖怪「スカ屁」かわら版誕生の理由
パロディー合戦の産物=スカ屁
このネタに溢れた白澤を、かわら版屋が放っておくわけがない。案の定、信憑性などどこ吹く風と、白澤に関するかわら版を作り、売りさばく者が現われた。そして、それは驚くほど売れたという。 かわら版屋は、非常に賢明である。別の言い方をすると、悪知恵が働く。だから、いきなり「白澤出現」の報などを制作しなかった。白澤の造形と属性を利用し、「件(くだん)」という新たな妖怪を作り上げたのである。「件」とは、文字通り「人」と「牛」を足して作ったものであり、まさに白澤のパロディー妖怪に相応しい名だった。 こうして作られたかわら版には、「越中の山中に、件という妖怪が出現し、近々恐ろしい病が流行すると予言した」などと書かれていた。そして、かわら版屋は記事にこうも付け加える。「件はこうも言った。私の姿を描いた絵を持っておけば、その流行病にかかることはない、と」。これによって、件のかわら版は、「流行病に対する護符」として、売れに売れたのである。 ベストセラーとなった件関連のかわら版は、新たな展開を迎える。件のかわら版以外に、「くたべ」という妖怪のかわら版が作られ始めたのである。「くたべ」のかわら版には、次のように書かれていた。すなわち、件というのは中国名で、和名は「くたべ」である、と。
白澤は余りに有名な妖怪であるため、それが出現したとの報は、どうしても嘘くさくなる。そこで生み出されたのが件だったが、余りに多く売れたため、件が権威ある「本家」になってしまうという、笑うに笑えない状況が出現したわけである。 そして、今度は「くたべ」のかわら版がどんどん売れていく。当時、麻疹や疱瘡を筆頭に、簡単に人の命を奪う恐ろしい流行病が多くあった。十分な医学的知識を持たず、常にその脅威に怯える庶民は、嘘であろうが効果がなかろうが、とりあえず護符として「くたべのかわら版」を購入したのである。なんといっても、かわら版は安い。1枚4~8文(現在の約80~160円)程度の「くたべ出現を報ずるかわら版」は、こうして大ベストセラーとなった。 この状況の下で、かのスカ屁出現を伝えるかわら版が出現した。そう、スカ屁は「くたべ」のパロディである。みんながみんな、「くたべ、くたべ」と騒いでいる状況を嘲笑う意味で、スカ屁のかわら版は制作されたのだった。 スカ屁のかわら版には、こうも記されている。 どこもかもくだべ(「くたべ」と同意) あんまりくだべで はらもくだべ いふのもくだべ あとから出す なをくだべ どこもかしこも「くたべ」のことで盛り上がっていて、腹の調子も悪くなってしまった、ということだろうか。抜群に下品だが、なかなか洒落のきいた文章でもある。 しかし、白澤のパロディーとして件が作られ、その件がいつの間にか権威化し、それに基づいた「くたべ」なる名称が生まれ、更にその「くたべ」のパロディーとしてスカ屁が生まれたという事実は、情報の流通や伝達の面白さを教えてくれるものだろう。そして、江戸時代の庶民に、スカ屁のようなパロディー妖怪を楽しむ「教養」があったという事実にも、驚かなくてはならない。 最後にもう一つ。江戸時代の庶民にとって、「放屁」という生理現象は、一二を争う「笑いのツボ」だったようである。それに対して、上流階級の人々にとっては、人前では決して行ってはならないもので、話題にするのもはばかられるものだった。下ネタに対する扱いは、いつの時代も変わらないようである。 (大阪学院大学 経済学部 准教授 森田健司)