「こいつが出てくるならテレビ消そう」なぜ、テレビは叩かれるのか? 「オワコン扱い」が独り歩きするテレビをそれでも推すTVウォッチャーの視点とは
ワンセグそしてTVer。個人視聴の時代に現れた強敵
時は流れて令和の今。 テレビは個人で見るようになった。 受像機としてのテレビは平成初期あたりに一部屋一台というご家庭もすでに多くあっただろうが、携帯端末でテレビ番組を見ることが当たり前となった今では「テレビ機のないご家庭」も珍しくはなくなった。 ひと頃流行したワンセグはもうほとんど見られなくなったが、その代わり動画をスマートフォンやタブレットで見る習慣は定着し、TVerなどでの見逃し配信もすっかり普及した。 地上波テレビも各人が見たいときに見られる時代が来て、テレビ番組を家族で同時に見ることはほぼなくなった。 もう私の幼少期のように、隣でテレビに文句を言う父はいない。老若男女が平穏にテレビを見られる時代が来たはずだった。 しかし、世の中はネットニュースとSNSの時代になった。
ネットニュースでバズるのはテレビの文句や悪口?
ネットニュースは世間をネガティブに煽ったほうがアクセスは増え、より拡散する。 バラエティのちょっとした発言を切り取って「苦言」として書いてみたり、「関係者」と称する本当にいるのかわからない人の「このタレント裏では評判悪い」みたいな噂話を記事にしたりすれば、記事を鵜呑みにした人がどんどんそれを広めていく。 「紅白で絶対に見たくない人ランキング」「テレビで出てきたらチャンネルを変える人ランキング」のような誰も得しないランキングもよく見る。 SNSではお笑い賞レースに「本当にクスリとも笑わなかったんだけど、今のお笑いってこんな感じなの?」という人がいたかと思えば、『逃走中』(フジテレビ系列)でルールで認められる範囲内でずる賢く立ち回ったタレントを執拗に「許さない」と糾弾する人もいる。 そういうのを目にするたびに私は隣でテレビに文句を言っていた父を思い出し、暗鬱とした気持ちになるのだ。
無料か? 課金か? 視聴状況で異なる観る側のスタンスにも問題が…
もちろんテレビというのは、いつの時代もつねに世間から文句を言われがちな存在だというのは理解している。 なんといっても圧倒的に多くの人間に届くメディアである。 広告媒体としてはやや勢いが落ちているといわれるが、視聴者数という点でいえばテレビの力は未だ圧倒的だ。これだけの力を持っているなら、それにふさわしい公共性というのはつねに求められる。それは公共放送であるNHKだけでなく民放も含めてである。 そういった力を自覚せず、作り手がいい加減なものを世に出したなら、相応の批判をされるのはやむを得ない。 また特定の層を相手にするのではなく、広く老若男女を相手にしているという側面もある。 すべての人を納得させる番組など基本的に存在しない。若者に人気の番組は年配の方にとってはわけがわからない番組だろうし、逆もそうだ。タレントも全世代から支持を受けているような人はほんの一握りである。 そして、無料で受け手の選択にかかわらず放送されているため、テレビをつけている限り見たくないものも目に入ってしまうというのもあろう。 自身で選択し課金して能動的に見るコンテンツと違い、地上波テレビ視聴者のスタンスは受け身である。 これはひどいと思った場合、能動的に見たものならまあ自己責任だしという気持ちも半分あって課金をやめるなどの選択肢があるが、受動的だとすべて相手の責任である。 連続ドラマや毎週やっているバラエティなら来週から見ないもできるが、単発のものだと文句を言うことでしか自分を納得させられない。