人気モデル敦子さん、5児のシングルマザーでありながら助産師になった理由|STORY
モデルとしても、飾らない人柄からも人気者の敦子さん。一昨年4月からは助産師として一般の医療機関でお産にも立ち会い、フルタイムでご活躍されています。小学生から大学生までの5児の母として、また、シングルマザーとして、育児も家事も人一倍大変なはずなのに、一から学び直し、新たな分野に果敢に挑むそのバイタリティーはどこから湧いてくるのでしょうか? どんな時でも明るく前向きで笑顔あふれるパワーの秘訣と、チャレンジ精神あふれるチャーミングな素顔に迫りました。 敦子(あつこ) 「JJ」の専属モデルや「VERY」の表紙を飾るなどモデルとして活躍。2021年、看護学校を卒業し看護師免許を取得。その後1年間、助産師学校に通い2022年3月に助産師資格を取得。同年4月より病院勤務の助産師として活動中。
人生はまだ半分、挑戦せずには死ねないと思って
STORY編集部(以下同)――5人の育児と家事だけでも大変なのに、助産師の資格を取ろうと思ったきっかけは? 仕事でタンザニアを訪れたことがきっかけでした。海外では、皆が無事に赤ちゃんを産んで育てられる状態ではないということを知り、衝撃を受けたんです。そこでママたちが赤ちゃんを安心して安全に産めるようにサポートができる助産師になりたい、と一念発起しました。 助産師になりたいと思ったら、挑戦せずには死ねないと思って。女性の平均寿命はまだ80歳ぐらいですが、自分が40歳になった時に、0歳から今まで生きてきた人生と同じ長さをもう一回やり直せるというか、ちょうど半分じゃないですか。0歳から40歳までの40年間でたくさんのことを経験できたから、同じぐらいの可能性があるんだと思ったら、まだまだ今から新しいこともできるのではないかと。それだけ長い時間残されているんだったら、今から始めたって遅くないと思ったんですよね。 何かを始めるのにもう遅いって思ったり、「もう若くはないから……」と尻込みする人は多いと思いますが、0歳から40歳までを考えるとすごく長い。それと同じ時間があるんだったら、今、もう一回産まれたと思って何でもできるかなって。 ――とはいえ、アラフォーであるがゆえの体力の衰えは感じませんか? 体がもたない……など、STORY世代の読者さんからよく聞きます。 助産師の仕事をスタートした時は37歳とかそれぐらいだったのでそれほど考えなかったのですが、40代になった最近は、以前ほど思うように体が動かないと感じることも。 月に1回、多くても2回ぐらいですが夜勤も入ったりして、その後の回復には時間がかかります。若かったらちょっと寝れば回復するのでしょうけど、なんだか2日ぐらい引きずっているような(笑)。その点ではやっぱり休みつつ、自分の体力も考慮しないと、とは思います。 ――看護師や助産師の資格は特に、取るのが本当に大変だと思います。いくらあと40年あるといっても、周りが全員若い人ばかりだったり、全く新しい分野というのは難しくなかったですか? あまりよくわかっていなかったからできたのかもしれないです。看護学校までは行けたとしても、助産学校は滅茶苦茶大変なんですよね。一年間で10例、実際にお産を取りあげないといけないし、加えて座学や試験もあって。一年だったのでなんとかなりましたけど。周りは若い子ばかりですが、一緒に新しいことを毎日学ぶことが楽しかったです。 ――ファッションの世界と全く分野が違う、医療業界に飛び込むことへの戸惑いはなかったのでしょうか。 より良い未来を、と思うところでは、マクロとミクロの世界のような感じでアプローチの方法は違えど、軸は変わらないので、あまり戸惑うことはありませんでした。モデルの仕事をさせていただくときは、ヘアメークさんがいてカメラマンさんやスタイリストさんがいて、色々な人の力を借りてページが仕上がってくるのが楽しいですし、できあがったものを通して、こちらから顔は見えないけれど、見てくださる色々な人の背中を間接的に押せたりできるかな、と。 その一方で、助産師の仕事は、毎日仕事に行って、赤ちゃんをお風呂に入れてお世話しながらママの話を聞くのもすごく楽しくて。目の前でダイレクトに幸せを感じられます。どちらの仕事も自分にとっては刺激的で楽しいと思えるんです。 あと、助産師になってみて、お産に立ち会うのですが、一生満足することがないって思うんです。お産を手伝うときに、この方法がベストだったのかな、とか、お母さんにとって、これでよかったのかな、と常に日々反省というか振り返って、次はこうしよう! ってまた勉強して、を繰り返してずっと続くんだろうなぁと。それがやりがいでもあります。