意外と知らない「経営は企業のお金儲けのためにある」という思考が「無知と傲慢である理由」
わたしたちはいつまで金銭や時間など限りある「価値」を奪い合うのか。ベストセラー『世界は経営でできている』では、気鋭の経営学者が人生にころがる「経営の失敗」をユーモラスに語ります。 【写真】人生で「成功する人」と「失敗する人」の大きな違い ※本記事は岩尾俊兵『世界は経営でできている』から抜粋・編集したものです。
経営の耐えられない軽さ:誤った経営概念が不条理と不合理をもたらす
経営を「企業のお金儲け」と同一視する「二重の間違い」も蔓延している。 経営するのは企業だけだと思い込むのは無知と傲慢のなせる業だ。学校経営、病院経営、家庭経営……はどこに消えたのか。むしろ世の中に経営が不足していることこそが問題なのである。現代の学校や病院や家庭が不合理の塊なのは誰もが知っていることではないか。 また人類のさまざまな側面に関わる広義の経営において、利益・利潤や個人の効用増大が究極の目的になりえないのも明らかだ。比較的それらを重視する企業経営においてさえ、本来それらは二次的な目的にしかなりえない。 結論を先取りすれば、本来の経営は「価値創造(=他者と自分を同時に幸せにすること)という究極の目的に向かい、中間目標と手段の本質・意義・有効性を問い直し、究極の目的の実現を妨げる対立を解消して、豊かな共同体を創り上げること」だ。 この経営概念の下では誰もが人生を経営する当事者となる。 幸せを求めない人間も、生まれてから死ぬまで一切他者と関わらない人間も存在しないからだ。他者から何かを奪って自分だけが幸せになることも、自分を疲弊させながら他者のために生きるのも、どちらも間違いである。「倫」理的な間違いではなく「論」理的な間違いだ。 本書の主張は単純明快である。 (1)本当は誰もが人生を経営しているのにそれに気付く人は少ない。 (2)誤った経営概念によって人生に不条理と不合理がもたらされ続けている。 (3)誰もが本来の経営概念に立ち返らないと個人も社会も豊かになれない。 現時点では意味不明かもしれない。しかし、本書を読んでいただければ、さまざまな比喩から類推するかのように真の経営の姿を共有できるはずだ。 本書はこうした問題意識に基づいて書かれた「令和冷笑体エッセイ」である。 令和の文化人を思い浮かべると、なぜかみんな冷笑系だと気付く。冷静に、論理的に、傍観者として社会を分析し冷笑する人たちが人気だ。 令和文化人たちは大抵イケメンで、痩せていて、変な格好をしている。一方の私は時代遅れの熱血熱弁唾飛ばし系だ。本書の執筆中も中学ジャージ現役着用ときている。「自分は時代の空気に合わず、誰にも話を聞いてもらえない」と悩み、一日に九時間しか眠れない極度の不眠症に陥った。 挙句の果てにショップ店員さんに「冷笑系天才に見える変な服あります?」と満点笑顔で尋ねても、例のごとく悲鳴を上げられた。ようやく買えた変な服はサイズが合わずにボタンがはち切れ、お洒落れメガネは顔面から噴き出す脂汗でずり落ちた。 こうして「令和冷笑系文体で勝負」という別解にたどり着いたわけである。 つづく「老後の人生を「成功する人」と「失敗する人」の意外な違い」では、なぜ定年後の人生で「大きな差」が出てしまうのか、なぜ老後の人生を幸せに過ごすには「経営思考」が必要なのか、深く掘り下げる。
岩尾 俊兵(慶應義塾大学商学部准教授)