17歳の時に発見した小さな土器の破片、越谷の歴史ロマンに魅せられて……
蔦屋重三郎の生涯を描いた大河ドラマ「べらぼう」が始まりましたが、その蔦重が見出した浮世絵師「写楽」の菩提寺が埼玉県越谷市にあります。越谷にまつわる歴史ロマンと、ある郷土史研究者がいらっしゃいます。
それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。『あけの語りびと』 埼玉県越谷市に住む宮川進さんは、御年85歳。滋賀県近江八幡市のご出身で、歴史に興味を持つようになったのは、高校2年生の時。ひょんなことがきっかけでした。 「田舎道を歩いていたら、植木鉢の欠片のようなものを見つけたんです。歴史の先生に見せると、古墳時代の土器だと分かって、へえ、こんな何気ない場所に落ちているんだと、歴史の身近さに興味をそそられましたね」 大学で考古学を学ぼうと考えた宮川さんですが、「考古学では飯は食えぬ」と大阪市立大学法学部に進学し、信託銀行に入行。その後、埼玉りそな銀行に勤務されました。定年後は、郷土史研究者として、越谷ゆかりの人物を調べ、様々な説をまとめ、発表会を開き、『さいたま古墳めぐり』も出版されています。 さて、蔦重が見出した浮世絵師の一人、「写楽」といえば、大胆なデフォルメで役者の個性を描き出す作風で知られています。しかし、活動期間はわずか10ヵ月、その間に、およそ145点の作品を残し忽然と姿を消してしまいます。長く謎とされていたその正体は、四国・徳島藩に仕える能役者の、斎藤十郎兵衛であるというのが定説となってきています。菩提寺が越谷にあることから、宮川さんもこのミステリーを調べています。 なぜ10ヶ月で筆を折ったのか、そのことを伺うと……。 「写楽は、斬新なアイデアで浮世絵の世界に登場しましたが、末期の作品になると、あの斬新さがなくて、魅力に欠ける作品ばかりです。私は、アイデアが枯渇して引退したと睨んでいます」 では、たった10ヶ月で姿を消した理由は? 「斎藤十郎兵衛は、徳島藩の蜂須賀家お抱えの能役者でした。参勤交代で、殿様が徳島に帰っていた十ヶ月間、絵心のあった斎藤は、浮世絵を描いたと思われます。能役者は世襲で侍の身分を与えられています。浮世絵を描いていることが殿様に知れたら、安定した身分を剥奪されるかも知れない、ということもおそれて、10ヶ月で筆を折ったのではないでしょうか」 続いて、こんな歴史ロマンが越谷にあります。日本一の力持ち、三ノ宮卯之助を、宮川さんに紹介していただきました。