大阪城天守閣「桃山の明暗」展 秀吉が着た?金色陣羽織も
影や暗さがないと光や明るさが際立ってこない
桃山文化は黄金色に輝く濃厚濃密な文化だけではなく、余計な装飾をそぎ落としていくわびさびの文化を併せ持つ。過剰か省略か。跡部さんによると、この対照的な二面性を、秀吉は大坂城に持ち込んでいたという。 「秀吉は黄金の茶室を好んだが、普段は解体して保管し、必要に応じて本丸御殿などで組み立てて、客をもてなした。そして、また来てくれと誘い、2日目はひなびた山里丸に連れ出し、一転して狭い茶室へ招き入れる。壁に破れかけた反古紙などを張り付けただけの空間で、客と膝を突き合わせてひとときを過ごした」(跡部さん)
秀吉死去後の大坂の陣、敗北を覚悟した淀殿と秀頼は山里丸に逃げ込み、輸入品を収納する唐物蔵の中で自害。秀吉が描いた明暗劇のシナリオをなぞるかのようにして、豊臣家は滅亡するものの、秀吉は太閤はんと呼ばれ、今も大阪人に親しまれている。 「影や暗さには負のイメージがつきまとうが、影や暗さがないと、光や明るさが際立ってこない。桃山文化の奥行きの深い明と暗、光と影を味わってください」(跡部さん) 影があるからこそ、光が引き立つ。今いちど、振り出しに戻り、秀吉の陣羽織を見直してみよう。展覧会の開催は10月5日まで。詳しくは大阪城天守閣の公式サイトで。 (文責・岡村雅之/関西ライター名鑑) 地図URL:http://map.yahoo.co.jp/maps?lat=34.68735239999998&lon=135.5258551&z=16