【一強が崩れた先に…】滝沢秀明がジャニーズからTOBEへと持ち出した「何よりも大切なモノ」
明らかな「スペシャル」として
滝沢秀明は、どこへ行くのか? それは彼がいったい何者か? ということに関わるだろう。13歳でジャニーズ事務所に入り、Jr.のリーダーとなって、「小さなジャニーさん」と呼ばれた。いわば〈ジャニーズの申し子〉だ。 【写真】滝沢秀明が故・ジャニー喜多川の遺影を手にして… ’64年に設立したジャニーズ事務所は、およそ60年間の歴史で、数百人、いや千人単位の男子アイドルとその予備軍たちが通り過ぎていった。滝沢秀明は傑出したアイドルだ。しかし、彼以上に人気のあった者、売り上げを記録した者、観客を動員した者、長く在籍した者らがジャニーズには存在する。 するとタッキーを特別な存在たらしめているものは、何だろう? 36歳で芸能活動を引退して、事務所の副社長となったことだ。しかも、創業者の公認を得て。「私は驚きと共に嬉しくて涙がこぼれそうでした」とジャニー喜多川は感謝している。 翌年、ジャニーは亡くなった。そう、滝沢秀明こそがジャニーのその遺志を受け継いだのである。 そんなタッキーが、3年後にはジャニーズ事務所を離れる。いったい、なぜ? その理由を本人はおおやけには語っていない。まざまな憶測が飛び交った。 いや、しかし……。その後にいったい何が起こったか? それだけは、はっきりとしている。 ◆「衝撃的な特集」が放送され…… 滝沢が事務所を退所して、程なくして英国BBC放送によってジャニー喜多川の性加害が告発された。被害者らが続々と声を上げ、芸能界を揺るがす一大スキャンダルとなる。遂にジャニーズ事務所は消滅するに至ったのだ。同じ頃、滝沢は新会社TOBEを立ち上げて、ジャニーズからの移籍組を受け入れた。 この一連の流れに、どこか私はめくるめく運命的なものを感じないではいられない。つまりジャニーズ事務所がこの世から消滅するその寸前に、彼はそこから何かを持ち出したのだ。ある大切な何かを――。 思いだそう。あの葬儀の日、霊柩車のフロント助手席に座り、しっかりと遺影を抱きしめていた彼の姿を。そう、滝沢秀明は〈ジャニーの魂〉を外へと持ち出したのである。 〈ジャニーの魂〉とは何だろう? 米国ロサンゼルスに移民の子として生まれ、太平洋戦争を経て、遠い日本の地にたどり着いた。そこで少年たちを集めて芸能ビジネスを始める。やがて、この国でもっとも大きく有力で、成功した芸能事務所となった。 その後、ジャニーの向かう先は? 故国アメリカだったに違いない。晩年のラジオ出演で、初代ジャニーズが全米ナンバーワンヒット曲をリリースしそこねたことを、悔しそうに語っていた。 ジャニー喜多川に訊きたかったことがある。BTSをどう思っていたか? 韓国の7人組アイドルグループ。別名・防弾少年団。世界的人気となったBTSが、アルバム『LOVE YOURSELF 轉‘Tear’』でアメリカ・ビルボードのチャートでナンバーワンに輝いたのは、’18年5月のことだ。 ジャニー喜多川は翌年2月に亡くなるので、BTSのこの快挙を目撃していたはずである。東洋人の男子たちが歌って踊るアイドルポップス。同類のように見えて、ジャニーズが達成できなかった夢を、なんとお隣の韓国のアイドルグループが実現してしまったのである。 ジャニーはよほど悔しかったのではないか? 〈ジャニーズそしてBTS〉 こんな大見出しが躍ったのは、ゴールデンタイムのテレビ番組の冒頭だった。ショッキングかつ画期的である。ジャニーズは他の事務所のアイドルとの競合を嫌い、拒否する。NHK『クローズアップ現代』だ。’22年8月31日放送。既にジャニー&メリーの創業姉弟は亡くなっていた(両者が存命なら、この番組を許さなかったのではないか?)。 番組では〈アイドル新潮流 舞台裏を追う〉と題して「ジャニーズ1強が崩れ……」とナレーションが流れた。BTSの世界的活躍が紹介される。所属する韓国のプロダクションが、日本発で世界を狙う新グループを仕掛けるとして戦略が明かされた。BTSで培った最新テクノロジーが武器だ。 ファンイベントがオンラインで世界25万人に配信される。独自開発のアプリで多言語に翻訳され、人気の推移が地域ごとに刻々と数値データ化される。徹底した科学主義だ。 対するジャニーズサイドは、大倉忠義が出た。関ジャニ∞のメンバーであり、関西ジャニーズJr.のプロデューサーだ。なにわ男子のデビューをめぐり、その戦略が語られた。 ◆滝沢秀明の視線の先にあるもの しかし……。 大倉は苦悩する。アイドルとプロデューサーの両立の負担がたたってか、難聴を患い、休養へ。12歳で事務所入りして25年間、アイドルとして懸命に生きてきた。 人生を懸けた経験主義の上に「アイドルとは何か?」という答えのない問いを抱える。その果てにあるはずの“直観”に届こうとして、苦悶する。そんな姿は、痛々しくも美しく、感動的だった。 BTSサイドの世界を見据える最新テクノロジーと科学主義、対するジャニーズサイドの経験主義と直観――それはあまりにも対照的だった。 そして、その“直観”とは、失われたレジェンドが一代で築き上げたものなのだ。 はたして、そんな“直観”を受け継げるものだろうか? 創業者亡き後、どの道、ジャニーズ事務所は衰退への道をたどる運命だったのかもしれない。 いや、しかし……。彼なら。今は亡きその人が、最後にすべてを託したあの男ならば……。 選ばれし者・滝沢秀明。 彼の使命とは、ジャニー喜多川の未完の夢を達成することだ。 「とにかく今はジャニーさんの頭の中にある構想を現実にすることで頭が一杯。(略)もう本当に親以上の存在です。だから何かを返さなければ、という思いも強いんです。(略)どれだけ自分の人生をタレントに注いできたんだろうか、と。だからこそ僕は、男としてそれを見習いたい……と切に思っているんです」(『週刊新潮』’18年10月4日号) そう語って副社長に就任したジャニーズ事務所は、もうこの世には存在しない。「ジャニー」という名前は、呪われたものとして消え失せた。 それでも……。 ジャニー喜多川が最後にデビューさせたグループ、King & Prince出身の3人を、滝沢社長のTOBEが引き受けて、Number_iとして世に送った。ジャニーの故郷、アメリカ・カルフォルニア州の‘Coachella(コーチェラ)’のステージで、圧巻のパフォーマンスを見せて世界を驚かせたのだ。 これはその第一歩にすぎない。 〈ジャニーの魂〉――その光と影のすべてを引き受けて、今、滝沢秀明は世界をめざす!! 取材・文:中森明夫
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