全国の梶谷ファンへ…巨人・梶谷選手引退会見「18年の選手生活に悔いなし、やり切った」
プロ野球の巨人や横浜で活躍した島根県松江市出身の梶谷隆幸選手が、23日に引退会見を開き、18年間の選手生活を振り返りました。梶谷選手からは応援した人たちへの感謝の言葉が何度も出され、人柄を感じさせる会見となりました。 23日に都内で会見に臨んだ松江市出身の梶谷隆幸選手。ケガからの復活を目指していたものの叶わず、引退を決断したといいます。 2006年に開星高校からドラフトで横浜に入団した梶谷選手は、その後FAで巨人に移籍。18年間のプロ生活で俊足強打の野手として活躍しました。 引退会見で、吉村禎章編成本部長が会見設定の経緯を説明しました。 吉村本部長: 梶谷選手から「今年をもって現役引退の決断をしました」という報告を受けました。チームがポストシーズンを戦っていた中で、ユニフォームを着て現役最後の打席や守備の機会を準備できなかったところが、チームとしても心残りでしたので、引退会見をセッティングさせてもらいました。 梶谷隆幸選手: 22日に球団に今年限りで引退する報告をいたしました。今年限りということで腹を決めて決断いたしました。読売巨人軍の関係者の全ての方々、4年間という短い間でしたけども大変感謝しております。そして古巣である横浜DeNAベイスターズの関係者の全ての方々、14年間もお世話になりました。本当にありがとうございました。 そしてファンの皆様、どんな時でも熱いご声援で僕の背中を押してくれました。本当にありがとうございました。長いようであっという間だったなという18年でしたけど、周りの方々に支えられて、こういう日を迎えることができて、本当に幸せ者だなと感じていますので、今まで僕を支えてくださった全ての方々に感謝申し上げます。 引退決断の理由: とにかく体がついていかないという所のみで決断しました。少し前にはもう決心は固めていまして、寂しい気持ちはずっとありましたけど、決めてからは引き際かなということを思いましたので、ちょっと早めに決断しています。 本当に膝の状態が思わしくなく、なかなかうまくいかないっていうのが続いていましたので、これ以上は…という気持ちがありました。 阿部慎之助監督に伝えさせていただいた時は、「限界かカジ…」ということを言われました。心中を察していらっしゃるんだなと、何か愛情を感じました。 まだチームメイトに挨拶できてない選手もいますが、「寂しいです」と言ってくれる後輩もいましたし、共に戦ってきた仲間と野球ができなくなるというのは、悔いは正直ないんですけど、寂しいという気持ちはあります。 なかなか自分が思い描いたようにはいかなかったんですけど、もう本当に移籍してよかったと心から思いますし、素晴らしい仲間に出会えて、一生の財産を得たなと思っております。 入団した横浜ベイスターズについて: 高卒で入って、ガリガリの状態だったんですけど、正直そのプロに入った時は18年やって野球を終えるということは想像できなかったですけど、本当たくさんのコーチや監督、チームメイトに支えられ、いい刺激を受けて、今日を迎えることができましたので、ベイスターズに感謝しています。 けがで苦しんだことについて: 苦しい時期が続いたが、好きな野球で悩めるということがまず幸せだなと思いましたし、自分らしく必死に頑張ってきたので、やりきった思いでいるので幸せだなと思います。 横浜時代の思い出: やはりあのクライマックスシリーズ、日本シリーズに出て、震える場面で、まるで高校野球の地区予選のようなあの感情というのは、なかなか味わえるものではないので、この間のクライマックスのファイナルステージでも、見ていて本当に羨ましいなという気持ちがすごく強かったので、その短期決戦の日本シリーズやクライマックスシリーズが、自分の中では一番思い出深いと思います。 一番感謝の気持ちを伝えたいのは: 両親と兄、妻には感謝の気持ちを伝えましたけども、やはり父には、真剣に僕がプロ野球選手になりたいと言った時に、全力でサポートしていただいたので大変感謝していますし、母はいつも心配性で「大丈夫か?」とよく言うような母だったんですけどいつも優しくしてくれて、励ましてくれて本当に感謝しています。常に横にいた妻には、夏頃に今年でやめようかと思うというのも伝えた時にも、自分が決めたことに従ったらいいんじゃないかと。すごく強い妻なので、美しくて強い妻なので僕の妻は…すごくいつも背中を押されましたし、野球の話を家に帰ったらたくさんしたなと思いながら、本当に感謝しています。 もう18年本当に幸せだったなっていうのが強くて、なかなかこれだけ長くやれる方も少ない中で、厳しい世界の中で自分なりにやりきって18年間できたということを誇りに思っていますし、もう本当に満足、もうやりきったっていうその気持ちですね。 ファンへの言葉: ファンの方々にいつも応援していただいて、どんな時でも変わらない声援をいただいたので、応援を聞いているときょう絶対頑張ろうという気持ちにもなりましたし、負けたとしても明日があると…そういうファンの熱い声援は僕たちに必ず確実に届いていますし、18年も応援してくださった方々に本当に感謝しています。 巨人での4年間で一番印象に残っている試合: もともとジャイアンツに来た理由というのも同学年の坂本勇人と一緒に野球をやりたいという思いも理由の一つでしたので、彼と一緒にプレーできたということが本当に楽しくて嬉しかった。 (坂本選手とは)もともと会話はしていましたけど、プレーに関しては、もう説明の必要がないと思うのですけど、僕はどちらかというと普段彼がどういう準備をして、どういう振る舞いをしているかなど、そういうことも気になって入団したというのもあるので、どういうことをすればこれだけの成績を残せるのかというのは、同学年ながら羨ましかったですし、そういうのを勉強もしたいという思いがあった。気さくですし、横浜にいる時も、チームメイトになってからも優しくて良い男でした。 梶谷選手にとっての野球の魅力: 野球に「惚れた」という感覚に、理由はあまりないと思っていて、ただただやっていて楽しいですし、野球に魅了されてずっと野球をやり続けて今日まで来ましたから、とにかく野球に出会えて幸せだったと思っています。 故郷・島根県への思い: やはり高校の監督になると思うんですけど、開星高校時代の野々村直道監督には、3年間指導していただいて、野球というよりは人間の生き様というか生き方を教わった気がするので大変感謝しています。 今後の予定: 球団の方からありがたいお話をいただいたんですけども、一度少し野球から離れたいという思いがあり、その旨を伝えさせていただいた所、これから自分がどういう思いで、何がしたいかとか、どういうものに向かっていきたいかというのを真剣に考えて次の人生に向かっていきたいと思うので、まずはしっかり考えたいなと思っています。 会見では、梶谷選手と同い年の坂本勇人選手がサプライズで登場、花束とともに労いの言葉をかけられました。また菅野智之投手や小林誠司捕手など11人の「仲間」に囲まれてプロ生活に幕を下ろしました。
山陰中央テレビ