専門家も「現場の安全管理はもう限界」自衛隊射撃場での3人死傷事件から1年 今も根強い“地域住民からの信頼”
■不祥事で訓練再開は1度中止も根強い地域住民の「信頼」
現場となった日野基本射撃場は、1907年の開設当時は、まだ旧陸軍の管轄だった。陸自が使い始めたのは、1960年からだ。 元々は野ざらしで、山に向かって射撃訓練が行われていたが、周辺の宅地化が進んだことで、2015年には屋内射撃場へと生まれ変わった。 それから9年。無防備な住民のすぐそばで起きた事件。およそ5カ月後の11月6日には、住民への説明を経て射撃訓練が再開されたが、20代の男性隊員が中指を立てるなどした行為が問題視され、訓練は再び中止に。住民からも批判の声が上がっていた。 しかし、銃撃事件から1年を前に改めて周辺を取材したところ、住民が口にしたのは「否定的な言葉」ではなかった。 近所の女性: 自衛隊というと、国・日本を守っているのイメージがあるので。安心感はありましたけどね。 近所の男性: 自衛隊は自衛隊で頑張っとるからね。 この地域を「名誉会長」としてまとめる男性も…。 地域の名誉会長: やむを得ないと思うけどね。どんだけ完璧にやっとっても、やっぱりそういう人も入ってくるでね。これからそういうことが2度と起きないようにしてもらうだけやね。 自衛隊という組織への「信頼」を感じた。
■「自衛隊というよりも“個人の問題”」…40年前に同様の事件が地域でも「厚い信頼」
かつて、同様の事件があった地域はほかにもある。山口市の陸上自衛隊・山口射撃場の周辺だ。 1984年2月、射撃訓練中の当時21歳だった隊員が、同僚に向けて発砲し、撃たれた4人のうち、1人が死亡した。岐阜の事件で逮捕された男も、この事件について言及したとされている。 発砲した隊員は、小銃を持ったまま自衛隊の車両で住宅地に逃走し、車を乗り捨てた末、およそ5時間後に身柄を確保されたという。 現地での取材で、当時のことを知る人に話を聞くことができた。 事件当時から現場近くに住む女性: (隊員が)どこにおるってわからんじゃないですか。だけどおることはおったけど、犯人が家の中に来たら怖かったなっていう気持ち。 自宅から数十メートルの場所に、4人を撃った隊員が逃げてきたという。 地域を脅かし、大混乱となった事件だったが、近くに住む人たちからは自衛隊に対しては、肯定的な声が続いた。 事件当時から現場近くに住む女性: 自衛隊さんはようしてくださるから。災害の時はね。ありがたいと思っています。 現場近くに住む男性A: 私は別に、自衛隊を肯定的に捉えておるから。そんなにどうこうということはない。 現場近くに住む男性B: 全て問題がある訳では全くないです。自衛隊だからというよりも、その人に理由があるのだと個人的に思うので。 外国の侵略から国を守るという使命だけでなく、災害時の人命救助や復旧、さらには新型コロナのワクチン接種など、国民のために活躍してきた自衛隊。信頼があるからこそ、受け入れられているからこそ、安心・安全を脅かすことは、2度と許されない。そんな思いが、彼らの中にあるはずだ。 事件から1年を受け、陸上自衛隊第10師団長の酒井秀典陸将は「国家・国民の信頼を受けて、武器使用を許可されている組織として、絶対にあってはならないこと。事案を風化させないこと、尊い命が失われることがないよう、自衛官としてあるべき姿について更なる徹底を図る」とコメントを出した。 2024年6月14日放送 (東海テレビ)
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