「なんで2回も被災しないといけないんだ」 広島市の道路陥没事故で家が傾いた男性、過去に西日本豪雨でも家奪われ「体力的にも金銭的にも精神的にも大変」
広島市西区福島町の市道陥没事故は3日で発生から1週間。避難生活を余儀なくされている住民の中には西日本豪雨に続き、自宅に住めなくなった人や体調が悪化した人もいる。小学校、ホテルと転々とする生活や今後の住まい、自らの体調…。避難生活は長期化する可能性もある中、「早く落ち着きたい」と願う住民には不安が付きまとう。 【画像】道路の復旧工事が続く現場 「日常に戻すのに、何から手をつけていいのか正直分からん」。建物が傾き、ひびが入った市営住宅に妻(77)と住んでいた男性(79)は心境を語った。事故後、荷物を取りに行くたびに建物がどんどん傾いているように感じている。部屋の中は一見すると変化はないが、ベランダに通じる掃き出し窓は素手では動かない。「もう住めん」と男性は言う。 夫婦は手配された南区のホテルに身を寄せている。薬や貴重品、下着とこれから使う長袖など最低限の物しか手元にはない。「早く落ち着きたい」。ホテルは4日まで滞在できるが、その先は決まっていないという。 9月26日朝、夫婦が外出しようとすると、市営住宅の住人が屋外に集まっていた。促されるまま避難所の観音小に向かった。持病があったため、夕方には空調設備が整う観音公民館に移り、一夜を明かした。翌日夜、ホテルに移動した。自宅を離れ、男性は思う。「なんで2回も被災しないといけないんだ」 夫婦は以前、西区己斐中に住んでいた。2018年夏、西日本豪雨が発生。30年近く住んだ自宅は土台となる石垣が崩れて住めなくなった。当時も途方に暮れた。空き部屋をたまたま見つけて入居したのが福島町の市営住宅だった。事故後の市などの支援に感謝しつつ、男性は言う。「また一から再スタートしないといけない。体力的にも金銭的にも精神的にもどれだけ大変か。時間がたって分かってくる」 市は事故後、現場から半径50メートルのエリアを立ち入り禁止にした。市によると、2日正午時点で24世帯44人が自宅以外で避難生活を送っているという。観音公民館で避難生活を続ける古瀬清秀さん(74)は「まさか自分が避難するなんて考えてもいなかった。これからどこに住むのか不安だが、今はその日をどう過ごすかで精いっぱい」と話す。 自宅に目立った被害はなかったが小学校、ホテルと転々とした生活に男性(65)は「寝付けなかったし、疲れもたまった」と明かす。ストレスで体調が悪化し、1日に入院したという。 陥没現場では復旧に向けた工事や調査が進む。福島町2丁目3区町内会の高山昌潤会長(86)は願う。「避難した住民からはもう戻りたくないという声も聞く。寂しいが個人の判断もあるから仕方がない。ただ、とても住みやすい地域。できるなら、みんなでまた生活できるのが一番いい」
中国新聞社