熊本に点在する『託麻』ってナニ? 住所?地名?由来を調査したら…奈良時代までさかのぼった話
しかし、託麻にはまだ大きな謎が。 ■南区にも「託麻」があるじゃん 託麻村があった東区から遠く離れた熊本市南区出仲間にも、なぜか『託麻中学校』が。 後生川アナ「ここにも託麻出てくるか…どういうこと」 託麻の由来を託麻中の生徒に聞いてみると…。 ――託麻中なのってなぜか知っていますか? 中学生「たぶん切磋琢磨から来ていて、麻は縁起がいいだったかな。あやかろうという意味なんじゃないかなと思います」 ――東区にも「託麻」のつく学校があることは? 中学生「知ってます。なんでだろうなと思っていたんですけど、ずっと謎です」 ■大学にも「託麻」が… さらに、中央区大江にある熊本学園大学でも興味深い事実が。何やら打合せをしている学生たちに話を聞くと…。 大学生「いま、託麻祭の打合せをしています」 なんと、熊本学園大学の学園祭は「託麻祭」なんです。 でも、なぜ「託麻祭」なのか? 大学生「自分にもちょっとわからない」 大学生「聞きなれているので『託麻祭』は『託麻祭』」 ■大学の広報室に聞いてみると? 熊本学園大学広報室 大澤孝さん「第一回の託麻祭が開催された1968年刊行の学内記事があるのですが、残念ながらこちらにも託麻祭の由来については書いていない」 他にも、大学の学園歌の歌詞にも…「託麻野」という言葉が。 大澤さん「付属高校の校歌にも『託麻野』の言葉が使われています」 校歌の話になり、なにかを思い出した後生川アナ。 後生川アナ「私、熊本高校出身なんですけど、校歌に入ってた気がする」 後生川アナ「『西に金峰 東阿蘇 たくまの原の中しめて~(熊本高校 校歌)♪』のたくまです!(笑)」 中央区や南区にまで残る「託麻」の名前。いったいなぜ? ■「託麻」のルーツは奈良時代? 藤野さん「熊本市の半分は託麻なので」 後生川アナ「熊本市の半分が託麻?さっきと話が変わっていらっしゃる…(笑)」 藤野さん「『託麻郡』というのがもっと広い範囲でありましたので」 実は、託麻村が発足する、さらに昔、南は川尻あたりまでの白川左岸全域が「託麻郡」だったといいます。
藤野さん「歴史的に言えば奈良時代、もっと前かもしれない。奈良時代から託麻郡はあって、この範囲でずっと託麻郡として続いてきた」 その後1896年(明治29年)に、「飽託郡」が発足したため「託麻郡」は消滅。 奈良時代から続いた地名は無くなったものの、南区や中央区にはその名が、令和の今も残っていたのです。
熊本放送