生死を超える日本的美学の具現「アイミタガイ」に〝日本はIP産業のエルドラド〟を実感
日本的美学の具現「アイミタガイ」
宇田川寧プロデュースの「アイミタガイ」は、幻冬舎の自費出版ブランドから刊行された連作短編小説で、「台風家族」などの監督である市井昌秀が土台となる構成を完成させ、「チルソクの夏」、「半落ち」、そして「夕凪の街 桜の国」では被爆して現在を生きる七波(田中麗奈)が、被爆で命を落とした皆実(麻生久美子)の写真を眺めるシーンを何度も振り返り、号泣させた巨匠、佐々部清の遺志を受け、釜山国際映画祭のオープンシネマ部門でコロナ禍のさなかの世界の若者たちを慰めた新進気鋭の草野翔吾が、MZ世代の感性を加えて「ブランディング」した「IP産業の寵児(ちょうじ)」に違いない。 愛らしい娘であり、かけがえのない友達だった叶海(藤間爽子)の足跡を一歩一歩たどって、誰も気づかなかった瞬間、光の当たらない社会の所々に残した「美しい遺産」と向き合うこの胸いっぱいの話の鍵が、極めて現代的なスマートフォンのメッセージだったという驚くべきナラティブを確かめるだけでも、劇場に駆けつける理由としては十分である。 それに恥ずかしさに躊躇(ちゅうちょ)する人は多いが、実は皆がタイトルの意味のように「アイミタガイ」=「相身互い」を思い、優しい目線で眺め、結局は誰かが支えてくれることを確信するようになるという、この極美の世界観に、我々は映画が終わった後も簡単に客席から立ち上がれない。不信と憎しみが広まった今の世界で、小さな話であるにもかかわらず、このように大きな力を伝える作品が他にあっただろうか。 さらに、作品を200パーセント理解したように見える黒木華、中村蒼、藤間爽子、安藤玉恵の「若組」、西田尚美、田口トモロヲ、風吹ジュン、草笛光子の「年輪組」が競合する演技の饗宴(きょうえん)は、観客に息をする時間も与えないが、心に充足した気持ちが続く幸せの瞬間を与えてくれる。これはまるで人間の生は死として終わらず、彼を記憶する皆によって永遠に続くという生死を超える日本的美学の具現である。 やはり釜山ではなく、東京でもう一度劇場に行かなければならない。そこで涙を含んだ笑みを浮かべながら作品が伝える長い余韻を吟味していれば、劇場のロビーでカメラを首からかけて笑っている叶海に会えるのではないか。
洪相鉉