環太平洋大からU12&U15の指導者へ、日米でプレーした中川和之コーチに聞く(前編)「2032年の五輪で金メダルを取れる選手を」
できなかったことができる幸福感を学生と共有
日米通算13年間、プロ選手として活躍した中川和之が4月からU12、U15世代の育成に乗り出す。2018年から6年間ヘッドコーチを務めた環太平洋大(IPU、岡山市)から、舞台を長崎に移してクラブチーム『DIVER CATS NAGASAKI』を立ち上げた。掲げる目標は2032年ブリスベン五輪で金メダルを取れる選手の育成。現役引退時に「バスケ界の坂本龍馬になる」と宣言した男が新たな一歩を踏み出した。 ――現役引退後、コーチ人生をIPUでスタートさせて、6年間活動しました。 現役を終えた2018年に好物のラーメン店で働こうと思っていたタイミングで、東芝ブレイブサンダーズなどで活躍した小野元さんに、IPUの女子バスケットボール部の監督のお話をいただきました。翌日一緒に大学に伺って指導者人生が始まりました。もちろんそれまでコーチ経験はなくて、IPUの場所すら分かりませんでした。女子バスケについてもプレーヤーとしてはっきり名前とプレースタイルも知っていたのは大神雄子(トヨタ自動車アンテロープスヘッドコーチ)、吉田亜沙美(アイシンウィングス)、渡嘉敷来夢(ENEOSサンフラワーズ)ぐらいでした。 プレーヤーと指導者は自分にとって全く別の業種でした。あえて現役の選手に伝えておきますが、「俺、バスケ知っているし、知識あるし、うまいから教えられるよ」っていう甘い話じゃないからね。選手と揉めたり、保護者が出てきたりと問題が起きて、大学側が謝罪することもありました。毎日が決して楽しいだけじゃない。99%楽しかったけど、1%のことでカレーが喉を通らない経験もしました。 ――大学生を指導して楽しかった点は。 最初の公式戦で大敗したけど、めちゃくちゃ熱くなれました。その時はまだタイムアウトが何回取れるかもかも知らず、オフィシャルに確認してた頃です(笑)。試合が終わった時の達成感や感動、悔しさも含めて『俺、まだめちゃくちゃ熱くなってるじゃん』と。そして、何よりめちゃくちゃ楽しかったんです。 社会に出る直前のカテゴリーなので、自分は反面教師として体験談を伝えていきました。自分を本当にさらけ出して、全身全霊で向き合いました。学生からは『中川監督』と1度も言われたことはなくて、みんなが『カズさん』って本当に仲良く接してくれました。俺がどうしようもないから、みんなが成長してくれたみたいな感じです。 ――在任中には部員が倍増しました。 いろんな監督さんから『リクルートが150%だよ』と言われました。大学のヘッドコーチの役割は指導はもちろん、リクルート、予算編成も含めた組織の運営と多岐に渡ります。実際に何百回も稟議書を書きました。ヘッドコーチだけでなくゼネラルマネージャーの役割も兼ねて、総合力を持っていないと難しいと知りました。リクルートにはお付き合いを含めたコミュニケーション能力、プレゼン能力も必要です。 魅力を伝えることが一番難しかったですね。関西以東の高校生は関東・関西に、九州の高校生も関東や地元を中心に進学します。こちらから声を掛けても来てもらえない時期が続いたので、高校生が来たいと思えるように毎日手を動かしまくって、『岡山でバスケやりまくってますよ』という感じをSNSで発信しました。見た高校生が面白そう、楽しそうと言ってくれて集まるようになりました。部員は倍以上の70人になって、3年目から1日2回の練習を指導するハードな日々になりましたが、競争も激しくなり、競技力も向上しました。代表選手レベルはいませんでしたが、最後は結果が残せる状況になりました。 ――指導者人生を大学女子から始めて気付いたことは。 大学生の女子ができないことは男子とは全然違いました。男子は大学カテゴリーだとある程度プレーヤーとして仕上がっています。IPUでは「こういう動きもできないんだ」と思うことが多々ありましたが、当時はどう伝えていいかも分かっておらず、苦しい時間を過ごしました。完全なる名選手名コーチにあらずでした。そこから選手たちのためにコーチングを一から勉強し直し資格も取りまくり、男子と女子の違いを身体能力、メンタルなどを含め、いろいろとアプローチしました。そして、できなかったことができるようになった時に学生と共有する幸福感が尋常じゃないと気付きました。