柔道・野村忠宏の引退会見全文1「激励のお言葉一番うれしい」
ケガでなかなか思うような柔道ができなくなった
2013年、ミキハウスの新年会で、ものすごい自分の決意、覚悟っていうものを発表して、その中で2013年、全日本の実業団に挑戦し、講道館杯に出場する権利を獲得できなければ引退します。そういう発言をして、自分の中で世界一、諦めの悪い柔道家です。そういう言葉とともにもう1回頑張ると発表しました。 で、また2013年の実業団の前に右肩を痛めまして、その実業団の試合中に右肩ケガをして、結局、講道館杯の出場権っていうのは獲得したんですけど、講道館に出れるような状態じゃないっていうことで出場を断念し、また右肩の手術をすることになりました。 その中で、ああ、出場権は得たけども、結局は試合に出れないんだ。もう肩もけがして、もともと右膝の古傷も痛いし、もう引退すべきなのかな。徐々に自分が、競技に対しての思いっていうのは変わらなかったけども、徐々に自分が現役を続けることが果たして正解なのか。自分が続けること、競技を続けることに対して、罪悪感っていうのをちょっと感じるようになってきたんですね。このまま続けたいけど、今後、続けたら駄目なんじゃないか。そういうときに自分は父親とこのミキハウスの社長に少し相談に行ったんですね。
そのときにまず木村社長は、もうけがしとんのやったらまず手術してしっかり治しなさいと。そしてしっかり治して、もう1回頑張ってくれたらいい。そんなもう諦める必要ははい。野村くんの挑戦には夢がある。だから頑張ってくれたらいいよ。頑張ってください。今までお世話になった木村社長に、野村くんの挑戦には夢があるんだと。そういう一言をもらったことですごい勇気をもらってうれしかったのを覚えてますし、ロンドンオリンピックを目指す過程で、うちのおやじ、柔道の師匠でもあるうちのおやじに、ロンドンオリンピックの挑戦のころっていうのはもう、ぼろぼろの僕の姿を見て、もう柔道やめてほしい、もうこれ以上、息子の苦しんでる姿を見たくない。そういうふうに漏らした父も、自分のオリンピックへの思いってのを見て、もうここまでやったらとことんやれ。とことんやって、やり切って、胸を張って引退しよう。そういうふうな言葉を掛けてくれました。 練習の質を上げていく中でいろんな人に協力をしてもらって、相談に乗ってもらって強い体を取り戻す作業をしていったんですけども、それで左膝に関してはすごく良くはなってきたんですけども、結局体のバランスが崩れ、ほかの場所にも負担を掛けるようになってきて、2007年に手術した右膝っていうのは本当に厳しい状況になって。 まあ右膝、手術した前十字靱帯っていうのはすごくいい状態には戻ったんですけども、結局、そのときに併せて手術した半月板と軟骨っていうのはもう長年の消耗ですり減って、膝関節の変形症というか関節自体が変形してしまって、動くたびに、そして相手の技に反応するたびに激痛が走り、なかなか思うような柔道ができなくなりました。