【黒柳徹子】会えば、いつも笑っていた。飾らない、気取らないお人柄だった、中村メイコさん
黒柳徹子さんが、年も近いし、共通点があってすっかり意気投合した、中村メイコさん。今回は、大好きだった彼女についてお話しします。 〈画像〉黒柳徹子さんが大好きだった「中村メイコさん」
私が出会った美しい人【第23回】女優 中村メイコさん
中村メイコさんがお亡くなりになりました。 メイコさんは、2歳で子役デビューして、私がNHK専属のテレビ女優になったときは、同世代にしてもう大変な売れっ子でした。私がラジオドラマのエキストラに駆り出されるようになって、通行人の役がまったくうまくできなかったとき、NHKの先輩から、「喋り方がヘンだ」「直せ!」と注意されたことがあります。そのとき、いちばんショックだったのが、「中村メイコの真似でもしてやがんのか?」と言われたことです。当時の私は、本当に失敗続きで、自分を必要としてくれる場所を必死で探していたと思うのですが、そんな私でも、人の真似をするのは恥ずかしいことだと思っていました。人の真似なんかしたら、トモエ学園の小林宗作校長先生が小学校1年生の私にかけてくれた、「きみは、本当は、いい子なんだよ」という言葉や、母が私をお客さんの前で、「素直なだけが取り柄です」と言って褒めてくれた、大好きな人たちが私にくれた信頼を、裏切ってしまうような気がしたからです。 NHKでテレビドラマが収録されるようになって、実際に会ってみると、年も近いし、家庭環境なんかにも共通点があって、すっかり意気投合して。メイコさんの最後のテレビ出演が、亡くなる6日前に収録された「徹子の部屋」だったのですが、そのとき、生放送のドラマで、メイコさんと私がいかに変なことばかりしていたか、懐かしい話をいくつか披露してくださいました。 自ら「喜劇女優」と自称していらしたので、番組でもプライベートでも、いつも楽しい話が多かった印象ですが、1989年の「徹子の部屋」では、終戦間近に、特攻隊の慰問に行ったお話をしてくださいました。軍の命令で、当時劇団の中でいちばん小さかったメイコさんは、お母様とお二人で、目隠しされて飛行機に乗せられて、明日には特攻に行くような人たちが集まる島まで連れていかれたんだそうです。それで、特攻隊員の前で、おしゃべりして、歌を歌うんだけれど、作家だったお父様からは、「軍歌だけは歌うな」とか「童謡も、旋律がセンチメンタルすぎる」とかいろんなことを禁じられて。かといって、アメリカの歌も歌えない。でもせめて知っている歌を精一杯歌って、「ちょっと抱っこさせて」と言われたりすると、ニコニコしていたんですって。でも、学徒出陣の兵隊さんに、そんな小さい子どもを会わせるのには理由があったのです。