新潟からの炭鉱労働者の情報求む 早稲田大の嶋﨑教授と鈴木さん「ルーツを後世に伝えたい」【宇部】
石炭産業のライフサイクルや炭鉱労働者家族について研究している、早稲田大の嶋﨑尚子教授と、同大大学院文学研究科社会学コースの鈴木崇広さん(23)が、新潟県からの出稼ぎ労働者として宇部の炭鉱で働いた人たちに関する情報を募っている。1935年から50年代前半にかけて、毎年1000人規模で出稼ぎに来ていたという事実は明らかだが、記録が残っていないため、市民から情報を集めて後世に伝えようとしている。 嶋﨑教授は、日本各地の炭鉱の繁栄と衰退、それに係る労働者と家族、その移動について長年にわたり研究。宇部の炭鉱に関わった人たちの調査は2010年ごろから進めている。鈴木さんは、嶋﨑教授の下で研究して3年になる。今回募った情報などを基に修士論文を書く。 昭和中期以前、新潟の農業者は、冬場の現金収入を得るために各地へ出稼ぎに行った。寒い冬は石炭の需要が増えるため、炭鉱が多くの働き手を募り、山口、静岡、群馬に、まとまった数の労働者が入っていた。新潟の人は勤勉で出勤率が良かったという。出稼ぎで宇部に来て、そのまま定着した人も多かった。 嶋﨑教授は、出稼ぎ炭鉱労働者と宇部の人たちの交流に関するエピソードも募っている。炭鉱の寮で生活していたという人を取材した際、寮にいた新潟県人は正月の餅のつき方、食べ方が自分とは異なり、地域性が出ていたという話を聞き、興味深かったという。「現代よりも人と人とのつながりが強く、農産物を送り合ったことなども推測できるので、知っている人がいれば話を聞いてみたい」と話す。 2人は11、12日に市内で調査。市立図書館、学びの森くすのきで文書資料を探し、炭鉱を記録する会の会員や石炭記念館の学芸員から話を聞いた。鈴木さんは「出稼ぎ炭鉱労働者と地域のつながりについて書き、後世に伝えたい。宇部に移り住んだ子孫は4代目になっているケースもあると思うが、ルーツを知っている人は教えてほしい。残っている写真などがあれば見せてもらいたい」と呼び掛けている。 情報の提供は石炭記念館(電話0836-31-5281)へ。