【谷原店長のオススメ】山本将寛「最期を選ぶ」 議論から逃げず、人生に向き合う考察を深めていくために
俳優・谷原章介さんが店長としてイチオシの本を紹介する「谷原書店」。今回は、「安楽死」についてのドキュメンタリー番組を手がけたフジテレビ・ディレクター山本将寛(まさひろ)さんが1000日に及ぶ取材を振り返った『最期を選ぶ 命と向き合う人々、その家族の記録』(マガジンハウス新書)を取り上げます。
僕の父親は今年、87歳。ちょっと前に熱中症で倒れたことがありました。さいわい大事には至らなかったものの、高齢でもあり、僕自身も50代。このところ、わが身や家族の「生と死」について思いをはせることが増えました。そんな折に出あったこの本は、フジテレビのディレクターで、僕がキャスターを務める朝の情報番組「めざまし8」に関わる山本将寛さんが「安楽死」についてのドキュメンタリー番組を作る取材を振り返った新書です。山本さんはスイスでの安楽死を選択した女性とその家族の記録として、『私のママが決めたこと~命と向き合った家族の記録~』(「ザ・ノンフィクション」2024年6月2日放送)という番組を制作し、視聴者から大きな反響を呼びました。この本は、番組に収まらなかった出来事や会話、山本さんが感じた思いの数々が綴られています。 日本では、安楽死というと、語ることさえタブー視されてきたように思います。そもそも死生観、宗教観が欧米とは異なるので、海外で行われている制度や法律が、日本に合うか否か、わかりません。けれども、「どう死ぬか」というのは、「どう生きるか」と同じように、人間の尊厳の根幹に関わると思います。自己と家族、他者の間でどう折り合いをつけていくのか。本当に難しいと感じます。 「安楽死」という文字を目にして最初に、京都ALS患者嘱託殺人事件のことを思い浮かべました。2024年3月5日、事件の主導者の医師に対し、京都地方裁判所は懲役18年を言い渡しました(被告弁護人は控訴)。さかのぼってみると、この国では過去に、東海大学安楽死事件(1991年)、川崎協同病院事件(1998年)など、同様の事件が起こっています。 あくまで僕個人の感想ではありますが、それらの報道に接した時、患者本人やご家族が望んだことを叶えた医師が罪に問われた判決に漠然とした疑問を持ち、考えさせられました。延命治療で意識もないまま「生かされて」いるケースは全国に多々あります。もちろん、ご家族が延命を望むのは当然ですが、同時に、生き方は決められるのに、死に方を選べないことに、疑問を抱きました。 これまで安楽死について広い議論が起こることのなかった日本とは異なり、いくつかの国では安楽死の権利が認められています。その一つ、スイスでは、「グリーンライト(green light)」という表現があるそうです。グリーンライトは日本語で言うところの「青信号」。「医学的な判断から、あなたは自殺ほう助を受けても良いという許可が医師から出ている」という状態を指すそうです。さまざまな基準を満たして初めて認められるそうで、スイス国内には、いくつかの自殺ほう助団体があり、希望者は団体の会員になって手順を案内してもらい、実行までの指示を仰ぐことが厳格に定められているそうです。会員は「最終的には、安楽死という選択肢を持っておきたい」という人たちで、いくつかの団体では日本人の、日本に在住したままの入会を認めているとのことです。 日本の最高裁にあたるスイス連邦裁判所は2006年、判断能力を持つ人であれば、自らの命をいつどのように終えるか決める権利があることを認定しました。日本社会で生まれ育った身には大きな違和感があります。ただ、よくよく考えてみると、今後は議論を重ねていくべき問題かも知れない、そう思うようになりました。 ここから記すことは、とても危険で難しい議論です。仮に愛する家族の意識がなくなったとしても、生かし続けることが愛なのでしょうか。きちんと閉じて終わらせてあげることが愛なのでしょうか。 でも一方で、こんなふうにも考えます。「そもそもこのような議論をすべきなのか」。本の中では、京都の裁判を受け、ALSの患者支援団体が主催した記者会見場で、山本さんが問いかけた質問に対し、団体側が嫌悪感や怒りをあらわにする場面があります。彼らのその怒りの気持ちも、痛いほどよくわかるのです。生きるために一所懸命、日々を闘っておられる。永遠に答えの出ることのない問題です。 ただ、長い闘病の末「もう闘えない」というほど、心が折れてしまった人もいると思うんです。そういう人を楽にしてあげることを考えても良いのではないか。つねに頑張って生き続けることを強制されるのは、それもまたつらい。だから、事前に話し合っておきたい。……そう言いながらも、当の僕自身、「僕がこういった状態になったら延命措置を取らないで」といった話し合いの場を家族と持っていません。なかなか話題に触れにくいのです。以前父が倒れた後、回復した際にも、知人の連絡先や銀行口座のこと、いろいろなパスワードのことなどを「書いておいて」と頼みはしつつ、一緒に話し合って「その時」のことを書き入れる作業はなかなかできません。どうしても避けたい。先送りしたい。「まだまだだ」って思いたい。 この本に登場する、マユミさんという日本人女性は、悪性のがんに罹患していました。たいへんな治療や葛藤の末、安楽死という道へ進んでいきます。マユミさん、夫のマコトさん、2人の娘さんの葛藤や逡巡、そして決意が、山本さんの丁寧な取材によって綴られています。 フランス語を上智大で学び、スイスに留学した経験から、山本さんは安楽死という問題について考えるようになったそうです。彼はまだ30歳。このようにとても重く、どこまでも考え続けていかなければいけない問題に取り組む彼に、「これから長くつきあうテーマになると思うけれど、大丈夫?」と聞きました。すると彼は「なんとか大丈夫です。この間もマユミさんのご家族と連絡を取り合いました。『映像として完結したのでおしまい』ってわけにはいきません。ずっと続けていくテーマです」と静かに語ってくれました。「その日」を迎えるまでのマユミさんと、ご家族たちの心を尽くしたやりとりの場面を読んでいくと、これから遺される周りの人たちの心を整わせるという意味においても、マユミさんの安楽死という選択が、大切なヒントを与えてくれることに気づかされます。 「自死」という行為自体は、肯定することは絶対にできません。ただ、前提条件は重要ですが、どこか「死に方を自由に選ばせてあげたい」という思いも抱いてしまう。もちろん、大切な人が亡くなったら残念です。悲しいです。でも結局、人は必ず死ぬわけで、終わりが訪れるからこそ、今を生きる。この本に登場する、肺の重篤な疾患を抱える日本人男性は、「死ぬ権利を手に入れて初めて、生きる活力を得た」と語ります。 マユミさんのほかにも、「その時」を自分で迎えた人々がこの本には登場しますが、皆さん、その姿勢は前向きで、静謐もあり、自分の人生と真正面から向き合ってこられたことが伝わってきます。独り寂しく、誰にも内緒で命を絶つのではなく、きちんと周囲と想いを共有し、「だから私はもう旅立とうと思う」とオープンにして、理解してもらう。日本では議論も十分にされてこなかった安楽死。何かと先送りしてしまう日本社会に生きる僕たちこそ今、「生きること」について考えるきっかけの一冊になると思います。
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ライター前田隆弘さんの『死なれちゃったあとで』(中央公論新社)は、身近な人を喪った体験を綴ったエッセイです。山本さんの本とは異なり、思いがけず「死」に直面し、遺されてしまった人たちの、やるせなさや憤怒、葛藤などさまざまな思いが描かれています。(構成・加賀直樹)
朝日新聞社(好書好日)