上野由岐子を進化させた知られざる米国修行 「世界一のピッチャーになりたい」の思いで習得した2つの球種
パリ五輪に向けた連載「Messages for Paris」の第5回は、女子ソフトボールの大エースで、2008年北京、21年東京五輪で金メダル獲得の原動力となった上野由岐子投手(41)=ビックカメラ高崎=に迫る。銅メダルに終わった04年アテネ五輪後、投球の幅を広げるために米国に出向き、「シュート」「ドロップ」を習得。金メダル獲得の背景には“秘密兵器”の存在があった。次回は、2000年シドニー、04年アテネ五輪柔道で金メダルを獲得した谷亮子を取り上げる。 【表】上野の五輪全投球成績 日本を2度、五輪で世界一に導いた「兵器」がある。3連覇中の米国と対戦した北京五輪決勝。3―1で迎えた最終7回2死一塁、大会通算413球目は、2番の左打者の外角からさらに外に逃げていった。打者は球に手を伸ばして食らいついたが、バットに当てるのが精いっぱい。三ゴロに斬り、日本が初の金メダルに輝いた。 初制覇から13年後、東京五輪1次リーグ・カナダ戦では右打者の内角をえぐり、金属バットをへし折って国民を驚かせた。米国との決勝で先発し、6回に一度、左腕の後藤に代わったが、7回から再登板。最後の打者を捕邪飛に打ち取ったウィニングボールも、またシュートだった。 北京、東京大会で頂点に導いた利き腕の方向に曲がるシュートは、上野が宿敵・米国を倒すべく約3年間温めてきた“秘密兵器”だ。アテネ大会後の上野は、世界最速120キロ前後の真っすぐやチェンジアップ、浮き上がるライズボールなどは一球品だったが、ドロップは捕手が「殺人ドロップ」と呼ぶほど、コントロールが効かず、右の大砲に対しては、大胆に内角を攻めきる球も持ち合わせていなかった。 銅メダルに終わったアテネ大会後、上野は「自分自身が悔いの残る大会だった。やはり、(金メダルの)米国を目標にやっているんだと思った」と胸中を吐露し、「世界一のピッチャーになりたい」と改めて目標を立てた。 当時、所属チームで監督を務めた師匠の宇津木麗華氏は、アテネ大会後の05年、上野を連れて2人で渡米した。日本の若きエースは、同氏が見初めたシュート、ドロップの名手から習得するためだった。米国代表選手には指導を断られたが、トップクラスの選手が「1時間だけ」の条件つきで迎え入れてくれた。上野の熱意に押されたのか、指導は2~3時間にも及んだ。セットからフォームを改め、投球始動時の腕の上げ方は内からやや外向きに変えた。遠心力を使えるようになり、リリース時には指先で操る感覚を得た。 特にシュートは曲がる方向へ手首と指でしっかりと押し込まないといけない。変化球の中でも非常に難易度が高く、当時の日本ではアテネ、北京五輪代表の右腕・坂井寛子が投げていたが、操れる投手は少なかった。従来の上野のフォームでは、腕が下りてくる時にボールの向きがまっすぐにならないので、ボールの曲がる方向に手首を返すのが難しく、大きな変化は求められない球種だった。 新球の習得で投球の幅も広がった。シュートは真っすぐより、球速で3~4キロ遅く、緩急でいえばライズボールとの間の球。米国で覚えたドロップは、外角に落とす際、内角へのシュートがあることで生きた。緩急はより細かく、コースは上下、左右により広く使えるようになり、打者にしてみれば、狙い球は一段と絞りにくくなった。約2週間の米国武者修業は、上野の競技人生を大きく変えるきっかけになった。「ピッチングの中でも駆け引きが一番(の魅力)」と明かす投球術を発揮しやすくなった。 北京五輪時は海外で「オリエンタル・エクスプレス」との呼び名が定着し、豪速球で名を馳せた。だが、この頃にはすでに「速球派」から「速球技巧派」へと進化しており、エースの緻密な投球があって、日本は悲願の世界一に立った。 41歳になった上野は「常に自分のコンディションを感じること」と、「試合の状況、その時の自分のコンディションに合った投球をすること」を強く意識しているという。豪速球だけでなく、多彩な投球術を持ち合わせているからこそ、都度、状況に対応することができ、長年、第一線で戦えているのだろう。 しかし上野は「ストレートが速いピッチャー」との自負は捨てていない。東京五輪イヤーは「変化球はもちろん大事だけど、変化球が全てではない」と真っすぐの精度を見直した。九州女(現・福大若葉)高を卒業後、実業団入りして24シーズン目の今季開幕会見で1球目に何を投げるか問われると、「一番速いストレートを投げます」。ロマンを感じさせてくれるのも投手、上野だ。 数々の伝説を残した右腕の飛躍の裏には「速さ」に加えた「巧さ」への意識改革があった。昨年のインタビューでは「こうしたい、ああしたいと好奇心がどんどん出てくる」と言っていた。ポテンシャルはもとより底知れぬ探究心が、五輪2大会金メダルのレジェンドに押し上げた最大の理由だろう。種目復帰する28年ロサンゼルス五輪で、生きる伝説は見られるか。(宮下 京香) ◆上野由岐子(うえの・ゆきこ)1982年7月22日、福岡市生まれ。41歳。小学3年で競技を始め、2001年に実業団の日立高崎(現ビックカメラ高崎)入り。代表初選出の02年世界選手権・中国戦で完全試合。04年アテネ五輪で銅メダル、08年北京五輪、21年東京五輪で金メダルを獲得。12、14年世界選手権金メダル。アジア大会は02~23年に6連覇。最速121キロ。今季リーグではプレーオフを含む22試合にリリーフ登板し貢献。右投右打。174センチ、74キロ。
報知新聞社