DEATH SIDE・ISHIYA、5年ぶりアメリカでのパンクフェス体験記 Conflict、MDC、Dropdeadら素晴らしいステージも
DEATH SIDEライブ前に刺激を受けたMDCやDropdeadのステージ
20日のライブは、前日に大谷翔平選手が「50-50」を達成したロサンゼルス・ドジャースのスタジアム(ドジャースタジアム)の近くにある、The Echoという会場だ。メインステージの他に2ステージあり、余裕で1000人は入れる大きさである。 早めに会場へ到着したのだが、セキュリティチェックがかなり厳しい。ビールも1缶17ドルにチップととんでもなく高い。日本円で2500円以上する。弁慶とORI(Gt)と3人でジャックダニエルのショットを飲んだら50ドル……。アメリカの物価の高さには驚いていたのだが、これほどまでとは。 会場内をウロウロしていると、いきなりステッカーを渡してくる男がいた。ステッカーにはMDCと書かれており「やぁ久しぶり!」と、MDCのボーカルでアメリカンハードコアレジェンドのデイヴ・ディクターが声をかけてきてくれた。この日は自分のバンドの演奏もさることながら、MDCとDropdead、スウェーデンハードコアのレジェンドであるMob 47、Skitsystemの他にも総勢35バンドが出演するとあり、かなり楽しみだ。 世界中からパンクバンドが集まっているのだが、日本のバンドはDEATH SIDEだけだ。錚々たるレジェンドたちの中で下手なことはできない。 あまりの会場の広さに、他のステージがどこにあるのかわからず、やっと見つけた野外ステージではお目当てのひとつだったNauseaのライブが終わっていた。その代わりに出演時間が被っているために観られないはずだったMDCが、時間が巻いたらしく観ることができた。 MDCの地元であるアメリカの、それも西海岸のロサンゼルスで体験したライブは凄まじかった。 現在のアメリカは大統領選挙の前で、パンクスたちは皆関心を持っていた。そこへデイヴ・ディクターの政治的アジテート、「ノー・トランプ、ノー・KKK、ノー・ファシスト・USA」と告げて名曲「Born To Die」が始まると、会場のテンションは最高潮に達する。激しいサークルモッシュが起き、筆者も出番前だというのに思わず突進してしまうほど素晴らしいライブを観て、気合が入った。 バックステージに行くと、メンバーは皆準備万端だ。さて、日本のハードコアパンクを思いっきりぶつけてやるか。 英語圏での掴みである「I Can’t Speak So F*ck You!」というMCも、新しい観客たちには新鮮だったようで反応がいい。DEATH SIDEを楽しみにしてきてくれた観客もかなり多く、拙い英語ではあるが、個人的に言いたいことが伝わったかのように観客席が盛り上がり、大きな会場が一体となる感覚があった。終演後の観客たちが口々に「素晴らしい」「来てくれてありがとう」などと話しかけてくれ「またアメリカに来られてよかった」と、心の底から思えたライブは大成功だったように思う。 その後は、様々なバンドを観ながらフェスを堪能していると、Dropdeadの出番がやってきた。 Dropdeadの素晴らしさは知っているはずなのだが、久々に観たライブには度肝を抜かれた。筆者自身がヴィーガンになったため、以前とはDropdeadの音楽の感じ方が変わったのも大きいだろう。このライブで、Dropdeadが世界中で支持されている理由が、やっと本当に理解できたように思う。 ライブ終了後には思わずステージに上がり、ギターのベン・バーネットに「素晴らしかった」と伝え、楽屋に行きボーカルのボブ・オーティスに「あなたの伝えていることがよく理解できた。全ては繋がっている。戦争も暴力も、動物に対する虐殺も全て同じことだ。今日のライブは素晴らしかった」と伝えると、「そのとおりだ」と力強く答えてくれ、固い握手を交わした。 今まで知っていたバンドを、より深く理解できた素晴らしい一日は、今回のアメリカで忘れられない夜となった。