浜松の名オートバイ“鼓動”再び 「ライラックLS38」設計者の夢実現 愛好家が修復
浜松の名オートバイ「ライラックLS38」をよみがえらせたい―。かつての設計者村木克実さん(85)=浜松市中央区積志町=が、夢を同じ愛好家の1人に託した。エンジンが壊れたまま、自宅で17年間、大切に保管してきた。古いモデルだけに修復作業は難航したが、3月下旬に再び走行できるまでに復活した。村木さんは「半世紀以上前のオートバイが動くようになってうれしい。自分が生きてきた証しにもなる」と喜んだ。 ライラックは戦後間もない1948年、同市に設立された「丸正自動車製造」(廃業)のオートバイ。チェーンのないシャフトドライブを国内で初採用し、レース車に似た斬新なデザインや当時は珍しいV型エンジンなどが人気を博した。現在でも名車として愛好家の間で語り継がれている。
修復を託されたのは中山自転車店(同区佐藤1丁目)の中山昌樹さん(69)。燃料を供給するキャブレターが壊れた状態でエンジンは作動しなかったが、外観は新品同様。「大切に保管されてきたことが伝わる。期待に応えたい」。子どもの頃から憧れ続けたライラックを前に、中山さんの職人魂に火がついた。 作業に取りかかった2月ごろは、新入学前の自転車需要が高い繁忙期。それでも「任せてもらえたのがうれしかった」と無償で引き受けた。エンジン周りに密集した部品にてこずりながらも、小さな隙間に何とか工具を入れ、少しずつ指先を動かした。廃番の部品は似た構造の物を取り寄せて新調した。休日も惜しまず修復に打ち込んだ。3月下旬、息を吹き返したエンジンの“鼓動”と重みのある排気音に心が高鳴った。
村木さんは20代のころ、丸正自動車製造に3~4年ほど勤務し、LS38のガソリンタンクを設計した。両膝で挟める画期的な形状に仕上げた。250ccのLS38に腹ばいになってまたがった写真が社内報の表紙を飾ったのも思い出の一つ。月給が4千円だった当時、定価約18万円のライラックは高根の花だった。 17年前にネットオークションで見つけ、三重県の出品者まで訪ねて購入した。レトロ感漂う深緑色の車体が4月、村木さんの元に帰ってきた。愛車を見つめ、「運命を感じている。高齢で運転は難しいが、大切に保管したい」と語った。 ライラック ホンダ創業者・故本田宗一郎氏の弟子、伊藤正さん(享年92)が設立した丸正自動車製造のオートバイブランド。ホンダがエンジンの動力をチェーンで後輪に伝える方式だったのに対し、シャフトで伝えるシャフトドライブを採用した。国内初のバイク耐久レース「第1回浅間高原レース」ではホンダを抑えて優勝し名声を高めたが、1967年に経営難で倒産。製造は途絶えた。