<前人未到に挑む・東海大福岡「支える人」>/上 杉山繁俊前監督の願い 選手の成長、甲子園でこそ /福岡
「甲子園は一度行ったらまた行きたくなる場所」。選手、監督として8回、甲子園の土を踏んだ東海大福岡野球部の前監督、杉山繁俊さん(67)はこう断言する。監督としては1991~2013年の22年間も監督だった福工大城東(旧福工大付)で春3回、夏2回出場。そして17年、今は東海大福岡野球部コーチの安田大将(だいすけ)さん(24)が主戦だった同校をセンバツ8強に導いた。 【写真で見る歓喜の瞬間】歴代のセンバツ覇者たち 初めて甲子園のとりこになったのは、70年夏に全国制覇した東海大相模のパレードだった。神奈川県の強豪、東海大相模では勝負師だった当時の監督、故・原貢(みつぐ)さんの指導の下、1、3年の夏に甲子園出場。3年時は原さんの息子である2学年下の原辰徳さん(65)=元巨人監督=と三遊間を組んで8強をつかんだ。東海大卒業後に進んだ日産自動車(神奈川)では社会人野球を8年間やり、都市対抗野球大会では優勝も果たした。 東海大福岡の監督に就いたのは13年4月。福工大城東を去ることを考えていた時、「最後は縦じまで終わりませんか」と声をかけられた。高校、大学で身にまとった東海大系列校の縦じまのユニホーム。「何とか甲子園で系列校の校歌を歌わせたい」と熱意が芽生えていたという。 そして就任4年目の17年春、センバツ出場を果たす。「一番注目されている早稲田実と当たりたい」と公言し、2回戦で清宮幸太郎さん(24)=現日本ハム=を擁する早実(東京)を11―8で降して8強に進出。準々決勝で後に優勝する大阪桐蔭に2―4で敗れたものの、この代が残した8強こそが現チームが「超えてやる」と躍起になる目標になった。 22年3月に東海大福岡を離れ、23年12月まで九州国際大野球部アドバイザーを務めたが、東海大福岡の試合には足を運んできた。23年秋の九州地区大会1回戦の九州学院(熊本)戦は、元東海大福岡部長の柴田幸尚さん(71)らと久留米市野球場で観戦。九回2死から4点差を追いつき、延長十回タイブレークで逆転勝ちしたナインを見て、「日ごろから指導陣と選手の間に信頼関係があって初めてあんな奇跡を起こせる」とたたえた。 監督勇退後も杉山さんの流儀はチームに根づく。野球部部長の崎村諭さん(30)は福工大城東時代の教え子。当時、部長や副部長だった今の中村謙三監督(37)も9年間ともに指導してきた。「人は緊張してこそ初めて成長できる。甲子園は夢を追う球児にとって必ずかけがえのない経験になる」。選手たちの成長を願うエールを送った。 ◇ ◇ 7年ぶり3回目のセンバツに出場する東海大福岡の連載2部「選手らを支える人」を3回に分けて掲載する。【長岡健太郎】 〔福岡都市圏版〕