「慶応行きたくて断食」戦後支えた偉人の仰天行動 著名な3人の実業家たちのヤバイ勉強法を紹介
マネしたらヤバい勉強法から実際に使える独学術まで、偉人100人の勉強法をまとめた、著述家の真山知幸氏が上梓した『ヤバすぎる! 偉人の勉強やり方図鑑』を一部抜粋・再構成し、実業家3人の勉強法を紹介します。 【写真】『ヤバすぎる!偉人の勉強やり方図鑑』(真山知幸著)では、天才たち100人分の勉強法を紹介 ■一冊の本をきっかけに島から出た「電力の鬼」 「島を出て慶応義塾に入りたい」 14歳になる息子の突然の申し出に、お父さんは猛反対しました。少年の名は亀之助。後に「電力の鬼」と呼ばれる松永安左エ門です。
亀之助が生まれ育ったのは、長崎県の壱岐の島。いきなり東京の大学に行きたいと言い出したのですから、お父さんも驚いたことでしょう。亀之助のお父さんは、地主で運送、酒屋、金融など様々な業種を手がける庄屋で、息子には家業を継いでもらおうと考えていました。 しかし、亀之助にその気はありませんでした。亀之助は偉人の伝記を読むのが大好きで、とりわけ心をうばわれたのは、セシル・ローズです。病弱な身で南アフリカに渡ったダイヤモンド王と、小さな島にいる我が身を重ねながら、立身出世を夢見たのでした。
それにしても、なぜ、東京の学校なのでしょうか。それは、長州出身の伊藤博文が内閣総理大臣になった話をお父さんから聞いたためです。 「これからは学問次第で、誰でも天子さま(天皇)の次の位になれるんだ」 お父さんの言葉を聞いて、亀之助は夢中になって『学問のすゝめ』を読みました。作者は福沢諭吉です。だから、諭吉が創設した慶応義塾でどうしても学びたいと考えたのでした。 親に上京を反対された亀之助は、なんと「食事を食べない」ことで抗議。3日も飲まず食わずで過ごしたところで、両親のほうがギブアップ。東京の学校で学ぶことが許されることになります。
上京して慶応義塾で学んだ亀之助。卒業時には、諭吉からこんなアドバイスを受けました。 「月給取りはおもしろくない。実業人になりなさい」 その後、お父さんの名前を受け継いで、亀之助から安左エ門へ。松永安左エ門は、電力事業で八面六臂の活躍をし、電力事業の再編に成功。戦後における日本の復興を下支えしたのです。 【名言】「まだまだ気にいらん奴がたくさんいるから、それを叩きのめすまではなかなか死ねんな」 ■ケンタッキー創業者が65才で人生一変できた訳