ヨーロッパで迫害を受けたユダヤ人が今度はパレスチナ人を追放。イスラエルの成立とパレスチナ難民
欧米を中心とする国際社会がパレスチナ人の土地を勝手にユダヤ人に与え、イスラエルが成立した――ハマスのテロ攻撃の背景には何があるのか? 中東情勢が良くわかる! と話題の書籍『なるほどそうだったのか!! パレスチナとイスラエル』より、一部を抜粋してお届けします。
イスラエルの成立とパレスチナ難民
シオニストの攻撃によって被害が大きくなると、イギリスはパレスチナの放棄を決める。 イギリスは、第一次世界大戦後に、国際連盟によって委任を受けていたので、国際連盟にパレスチナを戻すのが筋であった。 しかし、第二次世界大戦が起こるのを防げなかった国際連盟は、消滅していた。そして、それに代わる組織として、第二次世界大戦直後に国際連合(国連)が結成されていた。そこでイギリスは、パレスチナの問題を国連に投げ返した。 国連では、1947年にパレスチナの分割が提案された。基本的には海岸部分をユダヤ人に、内陸部分をパレスチナ人に、そしてユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三つの宗教の聖地であるエルサレムを国際管理地域とする内容であった。パレスチナという一つの土地を、ユダヤ人とパレスチナ人が争っているのだから、それを分割しようという発想であった。 国連総会は、賛成多数で、この提案を可決した。国連の決定なので、これを国連決議と呼ぶ。この可決に当たっては、ユダヤ人に同情的な国際世論の存在が大きかった。シオニスト側は、この決議を受け入れ、1948年にイスラエルの建国を宣言した。 逆にパレスチナ人や、周辺のアラブ諸国は、この決議を拒絶した。そもそもパレスチナ人の土地であるパレスチナの半分を、欧米を中心とする国際社会が勝手にユダヤ人に与えるというのは、現地の人々には受け入れられなかった。しかも、この時期までにシオニストたちがパレスチナで所有していた土地は、ほんのわずかであった。にもかかわらず、それよりもはるかに広い土地をシオニストに与える決議は不公平であった。