まさかの“交代劇”…シーズン途中で休養となった監督(4)3球団で結果を出した”名将”
長いプロ野球の歴史の中では、”名将”と呼ばれた指揮官が多く存在。近年も、オリックス・バファローズをリーグ3連覇に導いた中嶋聡監督などが、優れた手腕でチームを率い常勝軍団を築いている。一方で、成績不振によってシーズン途中で現場を離れる例もあった。そこで今回は、休養を余儀なくされた監督を紹介する。
梨田昌孝
出身:島根県 投打:右投右打 身長/体重:178cm/80kg 生年月日:1953年8月4日 ドラフト:1971年ドラフト2位 2001年、近鉄を率いてパ・リーグ優勝を果たした梨田昌孝。監督としての実績は豊富ながら、3度目の監督生活で苦い思い出を味わっている。 浜田高校から近鉄に入団した梨田は、強肩を武器に1979年から5シーズン連続で盗塁阻止率1位に輝くなど、守備で高い貢献を見せていた。 また、課題だった打撃も年々向上し、1979年に19本塁打を記録。プロ通算で113本塁打を放った。 現役引退後は2軍監督を経験した後、2000年に近鉄の監督に就任。2001年、球団として最後となったリーグ優勝を実現させ、「いてまえ打線」という言葉が一世を風靡した。 2007年から2011年までは日本ハムの監督を務め、2009年にパ・リーグ優勝を達成。その実績を買われ、2016年より楽天の監督を務める。 2017年こそAクラス入りを果たしたが、2018年は開幕からチーム全体が不調に陥り、6月の時点で借金20を抱えることに。「責任を取るライン」として判断し、結果的には自ら辞任を決断した。
ベースボールチャンネル編集部