道路脇で見かける「坊主頭で走る男の子」! こう見えて御年50歳の「飛び出し坊や」誕生の秘密
滋賀県から全国へ広まっていった?!
始めは八日市市の市内だけの設置でしたが、飛び出し喚起の運動を滋賀県の各地に広げることとなり、それとともに「飛び出し坊や」も徐々に勢力(?)を拡大していきました。そしてその存在を知った隣県の自治体にも採用されることとなり、その広まりは滋賀県を超えて全国へと伝わっていったそうです。 その頃にはだんだん男の子の看板の比率が多くなっていき、それとともに目が大きくクリッとなり、今のキャッチーな姿へと変化していきました。
命名は「みうらじゅん」氏!?
考案者の久田さんはこの看板の男の子を「とびだしとび太」と命名していたそうですが、1976年くらいにイラストレーター(?)のみうらじゅん氏が琵琶湖付近をドライブ中にこの看板を見付け、「飛び出し坊や」と呼んで推し活動の対象に入れたことで、サブカルチャー方面からも徐々にその存在が広まっていったのだとか。
町おこしの一環にもなっている
久田工芸での「飛び出し坊や」の制作はいまでも続いているそうですが、昔から一貫して手作業に近い工程で制作されるこの「坊や」はただの看板に留まらず、地元の東近江市ではある意味魂が宿っているかのように扱われているそうです。古くなって色あせたりひび割れたりした看板は安易に廃棄せず、地元のPTAなどの雄志の手によって修復されて使い続けられているのだとか。 まるでお地蔵さんのような存在といっていいかもしれません。
バリエーションもいろいろ
そうして誕生の1970年代からいままで、地元だけに収まらず全国で子どもの飛び出しによる事故を防いでいる「飛び出し坊や」。全国各地でその土地ごとに変化を遂げながらずっと使われ続けています。そのため、発祥の東近江市での変遷も含めていまでは、有名キャラクターとコラボしたようなものや、その土地の商業の振興のために呼び込みスタイルになっていたりといろんなバリエーションを生み出しているそうです。東近江市を起点にして、オリジナルのルーツを辿ってみるのもおもしろいかもしれません。 また、東近江市を訪れた際には、「飛び出し坊や」をモチーフとしたオリジナルのグッズも見てみましょう。
往 機人