写真家・水景クリエイターとして活躍した亡き師匠 天野尚の原点 消えた『鎧潟』を探して…
新潟放送
写真家として、また水景クリエーターとして世界的に活躍し、2015年にこの世を去った天野尚さん。その遺志を継ぐ作家が新潟市で初の写真展を開いています。 師匠亡き後、探し続けている、今は無き「鎧潟(よろいがた)」とは… 【写真を見る】写真家・水景クリエイターとして活躍した亡き師匠 天野尚の原点 消えた『鎧潟』を探して… 新潟市 中央区にあるギャラリー新潟絵屋。ここで、とある写真展が開かれています。 写し出されているのは新潟の「潟」の風景です。 【来場者は】 「水辺のニュアンスがとても美しく、四季を通じての潟のよさがよくあらわれている。きれいなんですけどこれがすてきだなたくましい」 今回、初の写真展を開いたのは本間裕介さんです。 【本間裕介さん】 「天野が写真を撮っているのは憧れていましたし、このカメラは天野が使っていたものを貸りて撮らせてもらっている」 本間さんの師匠は、新潟市西蒲区出身で、写真家・水景クリエーターとして活躍した天野尚さんです。 天野さんは最大で幅50センチを超える大判フィルムを使って、様々な自然の姿を撮影してきました。 さらに、水槽の中に自然の風景を再現するネイチャーアクアリウムを開発。 ポルトガルの水族館にも展示されるなど、世界を舞台に活動してきました。 18歳のとき、天野さんが営む「アクアデザインアマノ」に入社し、多くの現場をともにしてきた本間さん。 長年あこがれ続けている景色がありました。 【本間裕介さん】 「鎧潟、私自身も見たことないんです。ネイチャーアクアリウムの原点が鎧潟にあるんですね」 「鎧潟」とは、かつて今の新潟市西蒲区に存在した潟。 東西南北ともに2.5キロあり、越後平野の湖や沼の中で一番大きな潟でした。 戦後、食料増産などの目的で干拓がすすめられ、1966年に姿を消しました。 子どものころ、この鎧潟が遊び場だったという天野さん。その風景を再現したいと、ネイチャーアクアリウムを生み出したのです。 【本間裕介さん】 「特に天野が亡くなったあと、どういうところからネイチャーアクアリウムが生まれたのか気になって、近くにある佐潟に鎧潟を重ねながら撮影を続けていて」