【今日は何の日:7月9日】1955年、ジェットコースーターを命名したあの遊園地が開業!今の絶叫マシンと比べると、ずいぶんとのどかな乗り物だった
日本初の生保、明治生命設立
1881(明治14)年 福沢諭吉門下の阿部泰蔵らが日本で最初の生命保険会社・明治生命保険(現明治安田生命保険)を設立。阿部が初代頭取。慶応義塾で福沢の片腕として活躍し、岩崎弥太郎に請われて三菱の経営に参画していた荘田平五郎、慶応義塾長を務めた小泉信吉ら11人が発起人となった。86年には、経営の安定のため福沢の依頼に応じ、三菱の岩崎久弥が筆頭株主となった。三菱グループの有力企業として発展。戦後の47年に連合国軍総司令部(GHQ)の勧奨で株式会社から相互会社組織となる。
巨人、黒沢、沢村の背番号を永久欠番に
1947(昭和22)年 日本のプロ野球初の永久欠番に読売ジャイアンツの黒沢俊夫の背番号4と沢村栄治の背番号14が指定される。黒沢は46年までの3シーズンを主軸打者としてチームに貢献したが、47年に腸チフスで病没。沢村は戦前に来日したメジャー選抜チームとの試合に登板。9奪三振の快投を見せた。プロ野球が発足した36年には、史上初のノーヒット・ノーランを達成するなど活躍したが戦地へ向かう途上で戦死した。
後楽園開業、日本初のジェットコースター
1955(昭和30)年 東京・水道橋に後楽園ゆうえんち(現東京ドームシティアトラクションズ)が開園。目玉のアトラクションは、日本初の本格的なジェットコースター。今では一般名詞として使われているジェットコースターは、「ジェット機のような加速」の意味を込めて、後楽園ゆうえんちが命名したのが最初。当時は最高時速55キロだったが、現在のサンダードルフィンは時速130キロ。
福島第1原発元所長の吉田氏死去
2013(平成25)年 福島第1原子力発電所所長を務めた吉田昌郎(よしだ・まさお)東京電力執行役員が、食道がんのため東京都内の病院で死去した。58歳。東日本大震災発生時に所長だった吉田氏は、津波により全電源を失い3基の原子炉の炉心が溶融するメルトダウンを起こす過酷事故に遭遇。同年11月、食道がんが見つかるまで9カ月間にわたり、事故の収束作業で陣頭指揮に当たった。