「沙也加さんとの思い出を」神田正輝、27年半MC務めた『旅サラダ』卒業で過ごす余生
「前任の草野仁さんがMCを務められた4年間を目標に頑張ってきました。気がつけば旅サラダは5年、10年、20年、そして32年目になりました。視聴者の皆様、支えていただき誠にありがとうございます」 【写真】神田正輝、人目をはばからずに松田聖子と抱擁するお宝ショット と『朝だ!生です旅サラダ』(テレビ朝日系)の卒業を発表した際、そうコメントした神田正輝(73)。9月28日の放送をもって、27年半務めた番組MCも幕引きとなった。人気俳優として輝き続けた芸能生活を振り返ってみると──。
「聖輝の結婚」
1973年に知人を介して石原裕次郎さんと出会い、芸能界に誘われ、石原プロモーションに入社。人気ドラマ『大都会 闘いの日々』で俳優として本格的にデビュー。石原プロの所属タレントの面々は『石原軍団』という愛称で呼ばれるが、軍団ではどのようなポジションだったのか、ベテラン芸能リポーターの川内天子さんに聞いた。 「石原さん亡き後、社長になった渡哲也さんの下で舘ひろしさんと神田さんが石原プロを支えていました。阪神・淡路大震災や東日本大震災の被災地への炊き出しも2人が先頭に立ってやっていました」 石原プロといえば、有名なドラマは、 「『太陽にほえろ!』と『西部警察』が特に印象に残っています。『西部警察』では本物の車を爆破するなど、迫力がすごかったです」(川内さん、以下同) '85年に映画『カリブ・愛のシンフォニー』で共演した松田聖子と結婚。人気俳優の神田とトップアイドルの聖子の結婚は、「世紀の結婚」になぞらえて「聖輝の結婚」と呼ばれた。当時の盛り上がりについて、 「テレビ局は聖子さんの自宅、挙式した教会、披露宴を行うホテルと一日中、生中継。教会には報道陣だけでなく、一般人も押し寄せて身動きが取れないほど。朝から夜中までお祭り騒ぎでした」
娘・沙也加さんの存在
翌年、長女の沙也加さんが誕生するが'97年に離婚。 俳優としては、山村美紗さん原作のサスペンス『赤い霊柩車』シリーズ('92年~2023年)、『ラーメン刑事「龍」の殺人推理』('00年~'05年)などの当たり役に恵まれた。『赤い霊柩車』で恋人役の片平なぎさとは、「息がぴったりで本当の恋人ではないかと噂が出たほどです」。 '97年から『朝だ!生です旅サラダ』の2代目総合司会となり、親父ギャグもウケて、好々爺キャラが好評に。 '21年12月に、沙也加さんが35歳で亡くなった際は、聖子と並んで囲み取材に応じた。 「よくぞマスコミの前に出てきてくれたと思いました。神田さんは転落事故の数時間前まで沙也加さんと電話していたそうで、そのことを考えると本当にいたたまれません」 『旅サラダ』卒業で事実上、引退になるのだろうか。 「今までは沙也加さんを失った悲しみと向き合う時間が少なかった気がします。引退と明言はせずに、沙也加さんとの思い出を抱いて生きていく人生を選択するのではと思います」 近年は、激やせとも報じられた神田。これからは体調と相談しながら静かな余生を送ってほしい。