金門島事件、中国による「現状変更の活動」は続く 5月20日に頼清徳氏が台湾新総統に就任、新政権への圧力弁に利用か
【山下裕貴 目覚めよ日本】 中国福建省に近い台湾の離島、金門島周辺の「禁止水域」(=台湾側が進入禁止を設定)で2月14日、無許可操業を行う中国漁船を、台湾海巡署(=海上保安庁に相当)の巡視船が発見した。取り締まり中に漁船が転覆し、2人の船員が死亡する事故があった。 中国政府は反発し、同19日から金門島や馬祖(ばそ)列島の周辺海域で、中国海警局が巡視活動を実施し、金門島周辺を航行していた台湾の遊覧船に臨検を行った。3月16日には、金門島周辺の「禁止・制限水域」内に中国海警局の巡視船4隻が航行するなど、事故を契機に台湾の管轄権に対する圧力が続いている。 台湾は中国大陸に極めて近い複数の島を実効支配している。そのなかでも重要な島が金門島である。大金門島や小金門島などから構成され、台湾本島からは約200キロだが、対岸の中国アモイ市まで約5キロの位置にある。台湾による同島支配の歴史は、国共内戦時代にさかのぼる。 1949年10月、共産党勢力が優勢となり、国民党政府は中国大陸から台湾に部隊の撤退を始めていた。中国人民解放軍は台湾解放前に金門島の占領が必要であるとの判断から、同年10月25日に約1万人の部隊を上陸させて攻撃を開始した。 しかし、待ち構えていた国民党軍守備隊により撃破され、多くの戦死者と捕虜を出して同27日には上陸部隊が降伏し、作戦は失敗に終わった。この戦闘は「古寧頭(こねいとう)戦役」とよばれ、敗戦の続く国民党軍の士気高揚に大きく貢献した。 その後、58年から79年まで、「金門砲戦」とよばれる両軍による大陸と金門島の間での砲撃戦が行われた。結局、人民解放軍の金門島占領が失敗したことにより、中国の台湾侵攻作戦は行われることはなかった。このような歴史的経緯から、金門島は政治的に重要な意義を持つ島となったのである。 台湾はこのほか、南竿(なんかん)島と北竿(ほっかん)島、東莒(とうきょ)島、西莒(せいきょ)島、東引(とういん)島などからなる馬祖列島および烏坵(うきゅう)島を実効支配している。 台湾では5月20日、与党民進党の頼清徳(らい・せいとく)氏が第8代総統に就任する。頼氏は1月の総統選で、最大野党国民党の侯友宜(こう・ゆうぎ)氏と、台湾民衆党の柯文哲(か・ぶんてつ)氏を破った。中国側は、頼氏を「独立色が強い」と見ており、新政権への圧力弁として、中国による金門島周辺における現状変更の活動は今後も続くものと思われる。