「もはやお家芸」安倍・岸田から石破茂首相へ「日米同盟強化」…国民を騙し続けた「ウソ」まみれの歴史が衝撃的すぎた!
知らぬ間に「米国のミサイル基地」と化していた日本 日本にとっての「最悪のシナリオ」とは? 【写真】核めぐる密約の「記録」… 政府による巧妙な「ウソ」とは一体…? 国際情勢が混迷を極める「いま」、知っておきたい日米安全保障の「衝撃の裏側」が、『従属の代償 日米軍事一体化の真実』で明らかになる。 ※本記事は布施祐仁『従属の代償 日米軍事一体化の真実』から抜粋・編集したものです。
事前協議制の導入と核密約
1955年の「重光外相の嘘」は、1960年の日米安保条約の改定と同時に解消されることになります。条約と同時に日米両政府の間で交わされた「交換公文」で、事前協議制が導入されたからです。 これにより、米軍が以下の三つの行動をとる場合は、日本政府との事前協議が義務付けられました。 (1)日本国への配置における重要な変更(2)装備における重要な変更(3)日本国から行われる戦闘作戦行動のための基地使用 しかし、これだけではそれぞれ具体的に何を指しているのか明確ではありません。各項目の定義については、当時の藤山愛一郎外相とマッカーサー駐日米国大使(ダグラス・マッカーサーの甥)が口頭で確認しました(「藤山・マッカーサー口頭了解」)。 (2)の「装備における重要な変更」とは、「核弾頭及び中・長距離ミサイルの持ち込み(イントロダクション)並びにそれらの基地の建設」と定義されました。 日本政府は、この交換公文によって、核兵器の日本への持ち込みが「事前協議の対象でありまして、日本が拒否する限りにおいては持ち込みが認められないということが明瞭になった」(岸首相、1960年2月9日、衆議院本会議)と説明しました。 事前協議制の導入により、米国が日本の承諾なしに核兵器を持ち込むことはできなくなったかのように表面上は見えました。しかし、この裏で、重大な「密約」が結ばれていたのです。
日本政府が示した「建前」
密約は、藤山外相とマッカーサー大使の「討論記録」という形式で文書に残されていました。その中に、次の一文がありました。 事前協議は、合衆国軍隊とその装備の日本への配置、合衆国軍用機の飛来(エントリー)、合衆国艦船の日本領海や港湾への入港(エントリー)に関する現行の手続きに影響を与えるものとは解されない。 米国政府はこの約2年前(1958年1月)に、特定の部隊や艦船・航空機の核兵器の有無を明らかにしない「肯定も否定もしない(NCND:Neither confirm nor deny)政策」を採用しており、日本でも核兵器の有無を明らかにしないまま艦船や航空機を出入りさせていました。米国政府は「討論記録」にこの一文を盛り込むことで、事前協議制の導入後も、この「現行の手続き」は影響を受けないことを確認しようとしたのでした。 つまり、核兵器を搭載した米軍の艦船や航空機の一時的な寄港や飛来(エントリー)を「藤山・マッカーサー口頭了解」にある「持ち込み(イントロダクション)」と区別し、事前協議の対象から外そうとしたのです。 しかし日本政府は、核兵器を搭載している場合は一時的な寄港や飛来も事前協議の対象になり、協議があった場合は拒否すると国会で説明しました。