朝ドラ『虎に翼』寅子たちが目指す“弁護士”はうさんくさい職業だった!? エリート扱いされるまでのあゆみ
NHK朝の連続テレビ小説『虎に翼』では、主人公・猪爪寅子(演:伊藤沙莉)が弁護士を夢見て邁進中だ。同期の大庭梅子(演:平岩 紙)の夫は弁護士として羨望を集める存在で、息子も弁護士を目指している。明律大学で寅子らと学ぶ花岡悟(演:岩田剛典)ら男子学生も、弁護士になるという熱い思いをもって勉学に励んでいる。しかし、明治初期にはむしろ軽蔑されるような職業だった。日本における弁護士の始まりと、その後なぜ“エリート職”まで地位が向上したのかを追う。 ■日本における弁護士の始まり 江戸時代、庶民の民事訴訟において書類の作成や手続きを代行する「公事師(くじし)」と呼ばれる人々がいた。奉行所の役人らとのやりとりを含めて訴訟に介入したり、訴訟技術を伝授するような役割を担ったりしてその対価を受け取るというものだったが、なかにはなりすましや文書捏造などの不正を働く者もおり、江戸幕府もこれを取り締まっている(奉行所公認の代書業を担う公事宿も存在した)。 日本に「弁護士」という職業が誕生したのは、明治時代になってからのことである。明治政府は西洋の近代的な司法制度の導入を目指し、明治5年(1872)に「司法職務定制」を制定。これに定められた「代言人(だいげんにん)」が、弁護士の前身となった。この時政府がとくに大きな影響を受けたのがフランスで、明治初期の司法制度にはフランスの法的近代市民権思想が大いに取り入れられている。 明治9年(1876)には「代言人規制」が定められ、職業としてより具体的に制度化されるに至ったが、その時点で代言人という職業の社会的地位は高くはなかった。代言人免許制度は開始されていたが、まだ不十分だったこともあり、社会の信用を得られていなかったのである。これには前述した江戸時代の公事師への不信感が尾を引いているという側面もあった。 どれくらい蔑視されていたかというと、「三百代言」という言葉まで生まれるほどだった。「三百」は銭三百文を略したもので、微々たる金額、価値が低いといった意味合いがあった。明治初期に無免許で訴訟や裁判を扱った代言人はとくに軽蔑され、このような言葉で蔑まれたのだ。 その後、明治26年(1893)に制定された「弁護士法(旧々弁護士法)」によって、代言人は弁護士という名称に改められる。時の内閣総理大臣は伊藤博文、そして司法大臣は山縣有朋だ。この時試験制度も大きく改善され、より専門的な知識を有する職業として少しずつ受け入れられるようになっていった。「弁護士」と名を変えたことによって「弱者を守る(弁護する)正義の味方」のイメージに繋がったことも少なからず影響しているだろう。とは言え、当時は判事や検事のほうが地位がずっと高く、試験も分けられていた。 旧弁護士法の第二條第一において弁護士になる資格を有する者として定められたのが「日本臣民ニシテ民法上ノ能力ヲ有スル成年以上ノ男子タルコト」だ。つまり「成年以上の男子」でなければそもそも弁護士を目指すことはできなかった。 女性にもその道が開かれるようになったのが、昭和8年(1933)に公布された弁護士法改正で、「帝国臣民ニシテ成年者タルコト」に改められている。 <参考> ■NHKドラマ・ガイド『虎に翼』(NHK出版) ■神野潔『三淵嘉子 先駆者であり続けた女性法曹の物語』(日本能率協会マネジメントセンター)
歴史人編集部