北村道子のジェントルマンを探して──「小津安二郎」
数々の映画衣裳をはじめ、さまざまなメディアで衣裳デザインとスタイリングを手がけてきた北村道子による、「現代のジェントルマン像」を探る連載。第2回は、映画監督の小津安二郎について語る。 北村道子のジェントルマンを探して──「小津安二郎」写真を見る
私は、その人の60歳までの人生を見て、若い頃から生き方が変わっていない人をジェントルマンとしてノミネートしています。小津さんは、サイレント映画から始まった人だから、ユーモアのセン スがすごくあってアナーキー。そうしたセンスや美意識って永遠じゃないですか。そういう人を、私はジェントルマンと呼びたい。 今回、小津安二郎監督作から、原節子が独身女性・紀子として登場する「紀子三部作」を挙げました。その理由は、『晩春』、『麦秋』、そして『東京物語』の3作が驚くほど似ているからです。画面も極めて美しく、公開から半世紀以上が経った今でも感じる普遍さ、モダンさがあります。特にキャスティングが秀逸で、原節子の笑顔はとんでもなく美しいし、洋服が似合う。そして、出ている俳優が全員上品ですよね。本当に、あの品はどこから来るのだろう? と思うくらい。 作中、原節子と笠智衆は、「そうかね」「そうかしら」という言葉を繰り返します。数学者の岡潔が、リフレインは情緒を磨いて感情を外に出していく行為だから、数学に近い、というようなことを言っていますが、つまり、それは自我をなくしていくことだと思う。肉体の自我を何が象徴しているかというと、じつは手です。紀子三部作に関して言うと、手はほとんど動かさずに下げている状態。身体が、情緒を消している。そこでキーマンとなるのが、杉村春子です。あの毒々しさがなければ、原節子の普遍性のおいしさは出てこない。自我を表す存在として、杉村春子や紀子の友人たちがいるわけです。全部で54本ある小津作品の中でも、 この三部作は特にあらゆる国の人が観ています。その理由は、同じ日本人でも、私だって未だにわからない。『晩春』の公開は1949年で、私が1歳の時の作品ですが、広島と長崎に原爆を投下されてからまだ4年しか経っていない頃です。明治生まれの小津さんは、兵士として戦争を体験しています。でも、戦争を直接は描いていない。ちょっと前まで戦争をしていたのに、「それも遠い思い出だ」と言わんばかりのドライさで映画を撮っている。それはどういうメンタルなのだろうかと突き詰めると、「無」しかないと思う。戦争を自分で経験しないと、そこへは行けない。実際に戦争を体験した人は、それを直接的には表現しないんじゃないかな。心の中で悔恨して、感情を自分で処理しながら描くことで、普遍にたどり着く。そうやって小津さんは、戦後の日本の社会性を、独自のセンスとユ ーモアで描写しています。 小津さんは、衣裳も自分で選んでいたそうです。当時は、仕立ての人と俳優と話し合いながら衣裳を決めていくのが普通でしたが、クオリティを知っているからこそ、TPOもわかる。私が衣裳をやるときも、全部のキャストを自分で担当しますが、その理由は、一つの世界を作り上げるためです。小津作品は、小道具からセット、ローポジションのカメラワークなど隅々まで彼の美意識を感じさせる。トランクを置いて、何気なく1周歩く笠智衆にしても、旅館のスリッパや壺の置き方にしても、計算し尽くされています。人や物の間の空気を流すために逆算して、その場でアイデアを出していったと思うんです。誰もいない黒光りした廊下も、あのテカリがどこにあったのかをもう一度見たい! と思わせてくれます。 ファッションという観点で見ると、紀子をはじめとする当時の若者は、未来へ向かう「いま」の格好や髪型をしていて、上の世代は着物姿で登場しています。『麦秋』で、原節子と三宅邦子が2人並んで砂浜を歩くシーンは、白いブラウスにグレーのスカートが永遠に美しくてモダンですよね。デザイナーの熊谷登喜夫が好きだったスタイルそのものだなと思いながら観ていました。チェック柄も世に出回り始めた頃でした。『東京物語』の衣裳を見ても、ほとんど綿ですよね。唯一、ウールのスカートを穿いているのは、大手の会社で秘書として働いている設定の原節子だけ。彼女の上司は、ダブルのカスタムスーツを着ているけれど、笠智衆はスリーピースを着ています。そうした着こなしや素材使いを通して人となりを知ることができる。 『それから』(1985年、森田芳光監督) の撮影の時、笠さんが小津さんの行きつけの洋服店で、同じセーターやシャツを作った話をしていました。小津さんは私服も仕立てていたようです。母親と2人で長く暮らし、生涯独身であったことを考えると、小津さんの美意識は、彼女から受け継いだものという見方もできる。監督としてのスタイルは、デュシャンっぽい白いワイシャツに、カシミアのセーター、ピケ帽子。カフスはしていません。それは、あくまで自分は作り手側だ、という主張だったんじゃないかな。 小津安二郎を知るための3作 小津安二郎監督が野田高梧と共同で脚色も手がけた「紀子三部作」。広津和郎の小説「父と娘」を原作にした『晩春』(1949)。適齢期を過ぎた娘の結婚問題をめぐる『麦秋』(1951)。東京で暮らす子どもたちを訪ねた老夫婦を通し、戦後の家族関係の変化を描く『東京物語』(1953)。 写真:読売新聞/アフロ、『晩春』(1949年)監督/小津安二郎 写真提供/松竹、『麦秋』(1951年)監督/小津安二郎 写真提供/松竹、『東京物語』(1953年)監督/小津安二郎 写真提供/松竹 北村道子 1949年、石川県生まれ。30歳頃から、映画、広告、雑誌などで衣裳を務める。『それから』(85)以降、数々の映画作品に携わる。近書に、人気シリーズ『衣裳術』第3弾(リトルモア)がある。 WORDS BY TOMOKO OGAWA