夫・小野伸二の単身赴任で「基本的にひとりで育児」モデル・小野千恵子「幼稚園受験は記憶がないくらい大変だったけど」
モデルの小野千恵子さんにインタビュー。オランダから帰国後、サッカー選手の夫・小野伸二さんはふたたび海外へ。2人の娘さんの習い事のサポートに全力を注いだ日々ついて伺いました。 【画像】母娘の幼稚園お受験スタイルを披露「何を着ても似合う!」小野千恵子さんの家族ショット(全18枚)
■子どもが好きなことで成長し、輝くのを見るのが喜び ── オランダから帰国されてからの生活について聞かせてください。 小野さん:上の子が幼稚園に入る年齢になったとき、夫はもう海外へ行くことはないだろうと話していたので、夫婦で話し合って、大学付属の幼稚園を受験することにしました。
ところが、長女の入園が決まったあとに、夫が海外へ移籍することになったんです。また夫婦で話し合いをして、私と子どもたちは東京に残ることにしました。いまでいうワンオペ育児ですけど、女の子2人ですし、私はわりと育児を楽しめていました。次女が同じ幼稚園を受験した頃は、記憶がないくらい大変でしたけど。 私は、「子どもが好きなことをがんばって、成長して輝くのを見るのが喜び」と思えるタイプなんです。マネージャー気質なところは、子育てに向いているのかもしれません。
── 娘さんたちはどんなことが好きだったのですか。 小野さん:長女と次女は性格がぜんぜん違います。長女は小さいときからなんでもやりたがるタイプで、3歳の頃からフラダンスを習っていました。小学生のときには国内の大会にもハワイの大会にも出場して、練習もどんどん厳しくなっていきました。 次女は、私が「お姉ちゃんと同じフラダンスをやってくれたらいいな」と先回りして、上の子と同じスクールに入れたんです。でも、先生の前で居眠りしてしまうほど興味がなさそうだったので、すぐにやめさせて、本人のペースでやりたいことが見つかるまで待つことにしました。
そうしたら小学校3年生のときに本人が「やりたい」と言ってきたのがミュージカルだったんです。「じゃあ、やってみよう」とスクールを探しました。 2人とも自分がやりたいと言って始めたことはがんばって続けたので、親は本人がやりたいことが見つかるまで待つことが大事じゃないかなと思います。 ── それぞれ違う習い事をサポートするのは大変そうです。 小野さん:次女が4年生のとき、札幌の劇団四季の舞台に立たせてもらうことになったんです。当時は夫が札幌に住んでいたので、次女は1年間札幌の学校に転校することにしました。
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