『裸のランチ』に『バカルー・バンザイ』まで数々の難解な役をこなしてきたレジェンド俳優ピーター・ウェラーが大阪コミコンのステージで演技の真髄を語る
バロウズの描いた主人公を演じることは、バロウズ自身を自分なりに解釈すること
続いて話題は、ビートニクの最高傑作とされるウィリアム・バロウズの長編小説をデヴィッド・クローネンバーグが映画化した『裸のランチ』へ。この作品の主人公をいかに演じたかを尋ねられるとウェラーは「とてもいい質問だ」と答えると「この映画の原作小説は、20世紀に書かれた英米文学の中でもトップ10に入る革新的で創造的な小説、とされている。この小説は、何が正しくて、何が間違っているのか、そういう倫理や道徳についてのファンタジーだ。つまり社会とは、適切な温度感がなければいかに退廃し、どれほど狂っていってしまうのか。否定的な意味ではないのだが、マンガやアニメ、カートゥーンといった方法でしか映像化するのは本来的には不可能なものなのだ。つまり何百万、何千万ドルを必要とするほどのファンタジーだから。クローネンバーグが、そこでやってのけたことは、いかなる経緯でこの小説が書かれたかという、作家の歩みを描くことだ。この小説に至る旅路というものを。俺にとってウィリアム・バロウズは友人でもあり、ヒーローでもあって、よくつるんだもんだ。彼の人生のストーリーも読んでいる、基本的に自分自身が取り組んだアプローチであり、それをできたと自負していることでもあるのは、小説ではなくウィリアム・バロウズを解釈するということだ。執筆するプロセスであって、俳人だろうが、三島由紀夫だろうが、チャールズ・ディケンズであろうが、そしてウィリアム・バロウズであっても、ファンタジーを描く前にまず自分自身で、そこを通らなければいけない、自分で調べて。だから主人公のウィリアム・リーをどう演じたか、それは著者を理解するところにあった」。
さらに話は、テレビドラマ『24 -TWENTY FOUR-』の悪徳刑事役クリストファー・ヘンダーソンについて。この役はロボコップのような正義の警官とは対照的なヴィラン(悪役)だったが、どのような気持ちで演じたのかと問われると、俳優ならではの見解を聞くことができた。「ヴィランだと? 何を言っているんだ、彼は愛国者でヒーローじゃないか。これはどの役を演じるときも同様で、そもそも自分の演じる役に善悪の線を引いたりしない。それは見る側が判断することだ。なぜなら演じる自分はその人間になりきろうとしているのだから、その人間の行動原理としては“正しい”と思ってやっていることに寄り添うのだ。そしてこの役に関して言えば、愛国心で彼を表現することができるだろう。彼自身は、米国を防衛しているという正しい意識で行動している『スター・トレック イントゥ・ダークネス』で、マーカス提督は、カーンは悪者だから話してはいけないと言う。マーカス提督はその点で愛国者なのだ。自分はそういうふうに演じている。キャラクターがどのような立場をとっているのか、見ている側にとって正しいか間違っているかにかかわらず、自分の演じるキャラクター自身は正しいことをしているつもりで、正しい行いをしている。そういう人間を演じているのだ」。