明治から昭和を駆けぬけた『幻の宇品線』映像とともに時代の流れとその痕跡をたどる 広島駅~宇品駅
広島ニュースTSS
鉄道の魅力を熱くお伝えする野川キャスターの「てつたま」です。 【野川キャスター】 どうも皆さん、あけましておめでとうございます。 今年最初の『てつたま』は『ずきゅん!開局50年』を迎えたTSSのアーカイブ映像を使って今は無き路線跡をたどります。 それでは…新年初の出発進行 【野川キャスター】 「今、私、会社の、TSSの本社前におります。どうしてこちらから始めたかと言えばお正月ムードということでもあるんですけれども、まあ年末年始ですね。世の中はあまり動いていないという時期があるわけで。ええー、ちょっとですね、年明け一発目、ネタ切れでございます。今回は私の持ち込み企画とさせていただきます」 その持ち込み企画のテーマというのが、かつてTSSからわずか200m程の場所に存在していた路線です。 【野川キャスター】 「まあ、画面の奥の方に見えているのが、広島大学病院ですけども。ですから、あちらの広島駅の方向から、このスジを通って2号線とクロスして、そして画面の向こう側の方。 あちらがね、宇品の方向ですけれども、向こうに向かって伸びていたということで。 まあ、ここに来ても『宇品線が走ってたよ』という事実を知らなければ、まずここに鉄道が通っていたとは夢にも思わないでしょうね」 国鉄・宇品線は広島駅と宇品駅を結ぶ全長5.9キロの短い路線で1894年に開通しました。 私の持ち込み企画…というのが開局から50年、広島県の歴史を記録してきたニュースアーカイブ映像の中から宇品線の映像を探し出し、さらに廃線跡もたどるというものです。 残っていた映像は、廃線を間近に控えた1986年9月のものでした。 【野川キャスター】 「じゃあ3、2…時代を感じますね。あ!消えゆく国鉄宇品線、この字体もいいですね、昭和。だからもうこの映像も本当に廃止直前のところですけど、もうこの頃には貨物輸送に特化したね、路線になっていて。旅客輸送というのは、その結構前に終わってしまったんですよね。だから最後の方はもう貨物輸送をやっていたと。一日何便かこう。広島駅と宇品を行ったり来たりですね。 午前5時の1便列車。 この字体もまたいいですね。 この線路を鉄道が走るのもあと数ヶ月…みたいなナレーションをつけたいところですね。 猿猴川ね、これ。そうですよね。ここ、渡っていたんですもんね。だから、この住宅街の中を線路が走る。これ段原とかのあたりですかね?」 宇品線は1972年に貨物列車だけの運行になると、朝5時に貨物列車が1往復した後は列車が走ることはなく、線路は歩道のように使われていたそうなんです。 そして、広島駅を出発した貨物列車は、ゆーっくりと住宅街の中を進み、国道2号線をクロスします。 ところで皆さん、今この映像に何か違和感ないですか? 実は踏切に遮断機がないんですよね。 2号線を越える時には、列車が一時停止して手動で道路の信号を赤にして通行していたというなんとも珍しい状況だったんですね。 そして、貨物列車の運行も1986年9月末で、終えることになり… <宇品線ラストラン汽笛~広島南署交差点終わり> 運行開始から92年で宇品線は幕を下ろしたのでした。 廃線後30年以上がった今も、沿線には当時の遺構やモニュメントが残っています。 【野川キャスター】 「ええー、この道ですね。この道をまっすぐ行くともう、宇品に行くわけですけども。 あら?ここもモニュメントですね。これ丹那駅がこの辺りになったってことですかね?これね、宇品線は単線非電化でしたから、この通りシンプルな駅舎もあったということで、ちょうどね。沿革が書いてありますから、これちょっと見てみましょうか?1894年の8月に軍の専用線として開通。これがやっぱり宇品線のミソなんですよね。 時が日清戦争の時だったということで兵隊を、広島駅から宇品、そして宇品港から海にこうね、運び出して行くのにあたって。 ええー、この宇品線を広島駅から宇品まで突貫工事で作ったという話ですね。 2週間ちょっとで作ったと、今ではちょっと信じられないようなハイスピードで作られた路線ということなんですが。 ただ1966年に一般のお客さんと貨物営業を廃止した。 定期券を持っている人だけが乗れますよっていうですね。結構特殊な路線になったんですよね。 なので、走ってはいるけれども、時刻表に載ってないという、そんな不思議な期間があったっていうのを聞いています。 ただ、そんな輸送も6年弱だったんですかね?で、貨物線として継続したけれども14年後、1986年、昭和61年の10月に宇品線は廃止をされたと。 まあ全長で見ると、広島駅から宇品駅まで総距離で書いてありますけど、まあ6キロ足らず。 結構こまめに駅もあってどうでしょうね。いやタラレバは禁物だって言われても、今走っていたら、どうなっていたのかなっていうのは考えちゃいますよね」 <スタジオ> この路線今あったら、私、通勤に使います。ただ、宇品線が残っていたら、段原の再開発、マツダスタジアムはなかったと思います。宇品線は歴史の中にあるものですね。 以上、廃線企画「宇品線」でした。
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