元・九州大島原地震火山観測所長 太田一也さん死去 普賢岳のホームドクター
雲仙・普賢岳噴火災害時、長崎県島原市の九州大島原地震火山観測所(現在の同大地震火山観測研究センター)所長として観測の中心的役割を果たした同大名誉教授、太田一也(おおた・かずや)さんが15日午後5時15分、慢性呼吸不全のため、島原市の病院で死去した。90歳。同県雲仙市国見町出身。自宅は島原市。通夜は16日午後7時から、葬儀・告別式は17日午後1時から島原市弁天町1の7118の6、マルイチ第一斎場で。喪主は長男祥紀(よしのり)さん。 同県立島原高を経て、九州大理学部地質学科で学んだ。1967年、島原市に設置された同大島原火山温泉研究所(当時)に助手として着任。その後発足した同大島原地震火山観測所で86年4月から98年3月の定年退官まで所長を務めた。 90年11月に始まった普賢岳の噴火では、自衛隊ヘリコプターなどで上空からの観測を続け、行政や報道機関に山体の変化など知見を交えながら情報を提供。住民に対する避難勧告や警戒区域の設定、解除などを行政が決める際のアドバイザーとなった。雲仙を最もよく知る地元の研究者として“普賢岳のホームドクター”とも呼ばれた。 96年6月に「噴火終息」を宣言。退官後も住民の防災意識啓発に当たった。長年の功績から長崎新聞文化章、西日本文化賞、国土庁長官防災功労者表彰を受けた。2019年には災害時の膨大なメモ、約5万こまの写真、記録などを基に「雲仙普賢岳噴火回想録」(長崎文献社)を出版した。