「ああ本当も本当、大本当!」隠し子が発覚しても堂々肯定…最後の大スター・丹波哲郎の「見事な生きざま」
オレが来たから大丈夫だ
丹波哲郎は、とんでもなく面白い人物だった。 最近、往年の丹波の姿が、テレビで久々に放送された。 【仰天写真】舌がん、中絶4回、タモリの前で胸出し…女優・塩沢とき「衝撃ショット」 66歳のとき“隠し子”が発覚した直後の丹波の様子を、“懐かしの映像”で再現したのである。 芸能レポーターに取り囲まれ、ことの真偽を問われた丹波は、 「ああ、本当も本当、大本当!」 と、野太い声を腹の底から押し出して、あっけらかんと肯定した。 「認知したんだから。日本国中だれにでも知らせるっていうくらい認知したんだから。自分でやったことは、男はね、ぜったい責任を持たなきゃいかんよ」 スタジオの爆笑問題やカズレーザーらは呆気に取られ、“霊界おじさん”のようにふるまって笑いを誘っていた丹波の話題で、ひとしきり盛り上がっていた。 丹波は、昭和から平成にかけて、押しも押されもせぬ大スターだった。 昭和30年代にはテレビドラマの『トップ屋』や『三匹の侍』で、40年代と50年代には『キイハンター』や『Gメン'75』で、30パーセント台の視聴率を当たり前のように叩き出した。 一方で、毎回、セリフを覚えずに平気で現場入りする。撮影開始の定刻より大幅に遅刻して現れ、 「やぁ~、やぁ~、やぁ~、やぁ~。オレが来たからには、もう大丈夫だぁ!」 と陽気に言い放って、ロケ現場に爆笑の渦を巻き起こした。 スクリーンでも大物ぶりを発揮した。『砂の器』『人間革命』『日本沈没』などの超大作映画で主役や準主役を演じ、『007は二度死ぬ』ではショーン・コネリーを圧倒する存在感を見せつけた。
途方もなく破格
ところが、60代に入ってから、突然「霊界の宣伝マン」と自称しはじめ、バラエティー番組の人気者になっていく。ちょうど昭和天皇が崩御した直後、映画『丹波哲郎の大霊界 死んだらどうなる』を公開し、150万人もの観客を動員して、“大霊界ブーム”を呼んだ。 還暦過ぎの丹波哲郎に、いったい何が起きたのか。下手すれば、スターとしての地位や名声すら危うくなりかねないのに、なぜ死と死後の世界にのめり込んでいったのか。 私は当時、丹波の変貌ぶりを訝(いぶか)しげに感じただけで、その人となりにはまったく関心をいだかなかった。自分とは縁遠い、一有名人にすぎないとみなしていた。それが変わったのは、島根の出雲大社を中心に広がる出雲文化圏を取材し、前著『出雲世界紀行』にまとめる過程で、数多くの資料の中に、意外な言葉を見出したからだ。 「丹波さんの残した業績は大きい。丹波さんが『あの世』についての下地を作ってくださったからこそ、今の私もあるのだと感謝しています」 「なにしろ大我な心の持ち主で、どんな人とも分け隔てなく接し、『自分にかかわる人は一人残らず幸せにしたい』が口癖でした」 発言の主は、スピリチュアリストの江原啓之である。聞き手役のベテラン記者が、「基本的に『あの世』や『霊』の存在は一切、信じていない」うえに、「江原啓之についても『インチキ臭い人物』と認識している」(『江原啓之 本音発言』)と前書きで表明している点に、私はむしろ信を置く気になった。 丹波の著作を数冊取り寄せて読んでみると、私自身、あの世を茶化しているとしか思っていなかった丹波が、死と死後の世界を真剣に考察していることに驚かされた。しかも、自宅を抵当に入れ、億単位の借金まで抱えて映画『大霊界』シリーズの制作に没頭した事実を知り、丹波に対する先入観が覆された。 ほとんど知られていないが、丹波は、実に70冊を超える著作を残している。すべてに目を通して、私は確信した。この人物は、単なるかつての日本人スターの枠を超越した、途方もなく破格の存在だ。いまきちんと記録しておかなければ、丹波の生涯は忘れ去られてしまうのではないか。