PL学園の今後はどうなる?再興は可能か?
春夏制覇を含め、春3度、夏4度の甲子園優勝を誇るPL学園の夏が終わった。 15日、花園中央公園野球場で行われた大阪大会の2回戦で、PL学園は、東大阪大柏原に6-7の逆転で敗れ、高校野球史に数々の名勝負を刻んだ名門は、その歴史に“ピリオド”を打った。 約2800人のファンで満員となったスタンドには、元巨人の吉村禎章氏、元ヤクルトの宮本慎也氏、元巨人の橋本清氏ら、約100人のOBがかけつけて故障者などがあって9人で戦った後輩たちの最後の勇姿に声援を送っていた。 「霧雨がOBみんなの涙雨に思えました。もう9人しかいなかったので、最初の攻撃で2番バッターが頭に死球を受けたときには、没収試合になるのか、と危惧しました。一時は、逆転のPLの伝統に恥じない逆転まで見せてくれました。よく戦ってくれました」 1970年に入学したPL学園OB会の幹事、井坂善行さんも後輩の最後のプレーを称えた。 2015年より部員募集を停止しているPL学園の野球部は、今大会を最後に休部となる。野球部のOB会は、復活を願っているが、果たして、その可能性は、あるのだろうか。 川上祐一監督は、試合後、「今後については学園理事会で方針を決めることになると思います」と明言を避けた。すでに野球部寮の取り壊しは決定していて、グラウンドは教団に返還される予定。新たな専用グラウンドの建設が計画されていたが、3億円必要の寄付が半分も集まっていない。 それでも野球部側からOB会に対しては、専用グラウンドを放っておけば荒れるので、整備用器具の修理をしてもらえないか?の依頼があったため検討中だという。 プロに80人以上を送りこんだ前述の野球部OB会の井坂幹事も、「今後? どうなるかわかりません。ただ、我々OB会は希望は捨てていません。今後も働きかけを行っていきます」と言うが、野球部のOB会は、あくまでも親睦団体で、学校側、教団側への強い影響力を持たない。 9月にはOB幹事会を行い、来年1月のOB総会で方向性と意見をまとめる予定だと言うのだが、すでに嘆願書などを提出してきたOB会に対して、教団側からは何の反応もないことを考慮すると、OB会の働きかけが劇的なアクションを生み出すことは期待薄だろう。 関係者の話を総合すると、PL学園野球部の再興が容易でない理由は、野球部だけの問題ではなく、PL学園の学校経営自体が危機に陥っている事情と無縁ではないらしい。 少子化の影響を受けて、私学の高校経営は、冬の時代だ。総合大学の傘下に入って生き残る私学も少なくないが、小、中、高の一環教育で全寮制を敷いているPL学園は、他校より家庭への経済負担が大きく、しかも、公称265万人と言われていたPLの信者が激減しており、信者が子息を教団が経営する学校へと送り出す一般生徒も、年々、減少傾向にあり、野球部の休部どころか、今後の学校経営が危ぶまれているという。