学童疎開80年 福島の追憶(上) 親代わり「さぶやん」 都会っ子と寝食共に 寺の留守居・新房三郎さん
冬になると半田山から冷たい風が吹き下ろす。「もう家に帰りたい」。寒さに体を震わせ、音を上げる児童もいた。三郎さんは「正月ぐらいはひもじい思いをさせたくない」と身銭を切って餅を振る舞った。「父は自分の分も惜しみなく分け与えていた」とマスミさんは懐かしむ。 学校が休みの日には、沈みがちな児童を半田沼に連れて行き、水遊びや魚釣りを教えた。暗い世の中でも、子どもらしい笑顔を持ち続けてほしいという思いがあった。明るい人柄で親しまれ、児童はいつしか「さぶやん」と呼ぶようになった。 1945年2月、児童は疎開生活を終え、東京に戻った。三郎さんとの別れ際にかけた言葉は「さぶやん、ありがとう」。その後も三郎さんと子どもたちの絆は途切れなかった。 学童集団疎開が国策として実施されてから今年で80年。東京都など都市部から地方に40万人以上の児童が親元を離れて移ったとされる。戦争は子どもたちにも苦難を強いた。県内に残る記録と記憶をたどる。