<ボクシング>目を腫らし激闘した八重樫の伝えたかったもの
「やらねばならなかったことを貫けなかった。なぜこうなったのか、原因はよくわからない。生き残ったことだけが、収穫といえば収穫」 実は、試合前に上半身に深刻な怪我を負っていた。序盤からの反応の悪さも、カウンターのタイミングがワンテンポ遅れ、パンチに本来のキレがなかったのも、そのアクシデントの影響だった。 八重樫自身は、一切、その事実を秘密にしていたが、ハンディを抱えて激闘を挑み勝利を手にしたのは、「逃げない、投げない、あきらめない」の八重樫が持つメンタリティに他ならない。和製・ガッティの本領発揮である。そして今回は、モチベーションのひとつに、数日前にまさかのKO負けでV12に失敗、王座から陥落することになった“ミスターボクシング”、元WBA世界スーパーフェザー級スーパー王者、内山高志への思いがあった。調印式では大橋会長からも「内山選手が、リングに戻ってきたいという気になるようなワクワクする試合をして、暗いボクシング界を明るくしてくれ!」と檄が飛んでいた。 試合後、八重樫は、内山について滔滔と語った。 「内山さんは、勝つことが当たり前だった。そして、その期待にずっと当たり前のように応えてきた。その凄さや、内山さんの存在感の大きさに負けて、みんなが気づいたんだと思うんです。僕がどうのこうの言える立場ではありませんが、またリングに戻ってきてくれればうれしい」 拓大ボクシング部の先輩、後輩である。当時、超体育会系だった拓大ボクシング部において、1年の八重樫にとって、4年生の内山は神だった。ボクシング部は全員が寮生活だったが、内山はキャプテンで鉄の扉で作られた鉄部屋と呼ばれた特別な部屋に住んでいた。練習は日曜が休み。ある日曜に八重樫が、誰もいないはずのボクシング場に足を運ぶと内山が一人でサンドバックを叩いていた。内山は八重樫に「一緒に練習するか」と声をかけた。階級は違ったが、八重樫は、恐る恐る内山と5ラウンドのマススパーで拳を交えた。聞けば、内山は、週7日、毎日、10ラウンドのサンドバック打ちを自らに課していたという。 「練習は嘘をつかない」。それが八重樫のポリシーだが、再確認させてくれたのが拓大時代の内山先輩だったのである。「拓大魂を見せたい」。八重樫はそう言ってリングに上がった。怪我を負った肉体で貫いた壮絶な12ラウンドの激闘は、拓大で血と涙の物語を共に歩んできた八重樫と内山にだけに通じる言葉なきメッセージだったのかもしれない。 (文責・本郷陽一/論スポ、スポーツタイムズ通信社)